太古の生きもの館コラム

更新日:2023年07月28日

VOL.13これからのために

約三年間に亘って連載してきた化石や発掘のお話も、今回でひとまず最終回となります。

そこで今回は、授業やセミナーでほぼ必ずと言って良いほどよく質問される事についてお話ししようと思います。

その質問とは・・・、

「化石を研究してどんな意味があるの?」

とても初歩的で素晴らしい問いです。答えとしては大きく二つ有ると私は思います。

まず一つめは人間の知的好奇心を満たすためです。太古の昔にどんな生きものがいて、それらがどういった進化をしたのか、とにかく知りたいという想いです。もちろん太古の生きものには私たち人類の御先祖様も含まれます。人間という生きものは好奇心の塊りです。何かを知りたい、理解したいという想いは科学や医療など、ほぼ全ての分野において様々な発見や発明へと繋がっていきます。

二つめは歴史に学びそれを未来へ生かすためです。化石の研究とは、動物の骨を調べるだけでは無く植物やそれらが埋まっている地層など総合的に研究し、当時の地球の環境やその変化に生きものたちがどんな影響を受け、適応していったのか(適応出来なかった生きものは滅んでしまいましたが…)を知る事なのです。そうして得た知識は、これから未来に起こる様々な環境の変化に、人類を含む「今を生きる生きものたち」がどう対応していけば良いのかを考える上で、大切な資料となるでしょう。

小難しい話になってしまいましたが、あーだこーだと言いながら、私はこれからも太古の生きものたちと付き合っていくんだろうなと思います。

化石保護技術員 奥岸 明彦

太古の生きもの館パンフレット表紙画像

太古の生きもの館パンフレット(表紙)

VOL.12いつでも露頭2

いつでも露頭の紹介2回目は春日神社です。

前回紹介した篠山城の近く、北へ向かって徒歩で5~600メートル行った所に春日神社は有ります。国の重要文化財である能楽殿や市指定文化財の黒新馬(絵馬)を展示してある絵馬殿など見所も多く、私が大好きな神社の一つです。

さて、神社のどこに露頭があるのかというと、正面の鳥居を潜って参道を歩いて行くと左手に手水舎(手を洗ったり口を漱いで清める所)が見えてきます。そのすぐ後ろが岩の丘になっており、階段を上ると丘の上にある黒岡の愛宕神社に行く事ができます。その岩の丘が全て「篠山層群」の露頭です。風化していて少々分かりづらいですが、地層が篠山城に向けて斜めに下るように傾いています。逆に篠山城の地層は春日神社に向けて傾いています。簡単に言うと春日神社と篠山城の露頭は、地面の中でぐにゃりとUの字に曲がって繋がっています。直線距離で400メートルほどという狭い範囲で曲がっているというのは地層としてはなかなか珍しい事です。

今回春日神社を紹介するための写真を撮影しに行った際、発掘作業の安全と良い化石がたくさん見つかるようにお願いしておきました。篠山層群の上にある神社の神様なら御利益があるはず…と思いますが少々欲深過ぎて神様は呆れているかもしれません。

(露頭は見て触れるのは構いませんが、化石を探そうと削ったり崩したりするのは絶対にダメです)

化石保護技術員 奥岸 明彦

 

春日神社境内階段横の写真

春日神社境内(篠山層群の露頭)

VOL.11いつでも露頭1

 

これまで篠山層群から見つかる化石や発掘に関する事、恐竜の話など地層に関係ある様々なお話をしてきましたが、今回から何度かに分けて、いつでも見て触れられる露頭(いつでも露頭)を紹介していこうと思います。

いつでも露頭の紹介というと、前回お話した宮田の露頭を思い浮かべるかもしれませんが、宮田の露頭は許可なく自由に見たり、触れたりすることができません。

という事で、誰もが自由に触れることができる「いつでも露頭」の紹介第一回目は篠山城です。

え?お城?と思われるかもしれませんが、実は篠山城は篠山層群の露頭に石垣をくっ付けたり岩盤を削って堀にしたりして出来ています。簡単に言えば大きな岩の丘を利用してお城が造られているのです。大切な文化財なので石垣を崩して地層を観察するなどの破壊行為は絶対だめですが、そんな事をしなくても露頭を間近で見る事が出来ます。例えば大書院のとなりに青山神社が有りますが、正面から見て鳥居の左側に露頭と石を組み合わせて石垣が造られています。篠山層群の中でも礫岩と砂岩から成る硬い地層なのでそのまま石垣に利用した様です。その他にも堀の水を清掃作業などで抜いた際、堀の大部分が岩盤で出来ているのが分かります。

もしかしたら恐竜が化石となって眠っているかもしれない場所に歴史あるお城が造られているなんてロマンの塊です。

化石保護技術員 奥岸 明彦

 

篠山城跡内石垣の写真

篠山城跡内石垣(篠山層群の露頭を利用して造られた)

VOL.10宮田大規模発掘

今回は9月の後半から予定している宮田(ササヤマミロスの発見地)の大規模発掘についてのお話しです。

丹波篠山市宮田では月に3~4回、私と化石調査ボランティアで発掘調査を行っていますが、少人数での作業なのでどんどん調査が進むという訳にはいきません。そこで今回は兵庫県立人と自然の博物館と協力して大規模な発掘を行い、一気に調査を進めようという試みです。

発掘調査というと岩盤(地層)の上から徐々に掘り下げていくというイメージを殆どの方が持っていらっしゃると思いますが、宮田の発掘はその方法が使えません。なぜかと言うと、岩盤が大きく傾いて斜めになっているからです。丹波竜の発掘調査をした際も三十度くらい岩盤が傾いていましたが、何とか上に立つ、もしくは座る寝そべる等しながら発掘する事が出来ました。ところが宮田の場合は四十度以上傾いており、上に乗ろうとしても滑り落ちてしまうため通常の方法では作業が出来ません。ですから今回は工事業者の方に地層の種類(泥岩・砂岩・礫岩)ごとに重機で岩盤を砕いて平な広場に運んで山積みして貰い、それを化石発掘体験イベントの時のように我々で石割調査を行います。調査が必要な砕いた岩が大量に出るため、ゆくゆくはボランティア募集をして、一般の発掘未経験の方にも調査に参加して頂けるようにしようと思っています。

すでに未発表の物も含め沢山の化石が見つかっている宮田ですから、今回の大規模発掘調査でも色んな化石が出てくるのはほぼ間違いないでしょう。今日も来たる日に向けて準備をしながらワクワクが止まりません。が、ほんの少しだけ(もしも何も無かったらどうしよう)というドキドキもあります・・・。

化石保護技術員 奥岸 明彦

宮田重点保護区域の露頭

宮田重点保護委区域の露頭

宮田重点保護区域での調査

宮田重点保護区域での調査の様子

VOL.9篠山層群の楽しみ方

丹波篠山市の盆地部に広がる約一億一千万年前(中生代白亜紀)の地層、篠山層群。様々な動物の化石や炭化した植物探しはとても楽しい事ですが、今回は地層を見て想像して楽しむ方法をお話しします。

篠山層群は太古の昔、雨期に川から水と共に溢れ出た泥や砂、石などがたまり積み重なって出来た地層です。当時水の流れがほとんど無く、淀んだような所にたまった泥が固まって出来た岩を泥岩、少し水の流れがあって泥と砂が混じりあって岩になった物を砂岩、かなり水の流れが強く、泥や砂の他に石が沢山含まれている物をレキ(礫)岩といいます。篠山層群の地層は、大きく分けてこの三つの地層で出来ています。

太古の生きもの館の敷地や宮田(ササヤマミロスの発見地)にある露頭を見てみると、岩の板が重なるようにして地層が見えています。かなり斜めに傾いていますが、元々は水平だった物が地殻変動などによって傾いたり曲がったりズレたりしています。その岩の板の中でボロボロに表面が崩れているのが泥岩です。ほぼ泥だけで出来た泥岩は紫外線や風雨などによる風化に弱く、どんどん削られていきます。化石が見つかるのは主にこの地層です。表面に石が沢山見えているのがレキ岩で、泥岩とは違ってとても硬く、金属のハンマーで叩くと火花が出るくらいです。砂岩は泥岩とレキ岩の中間くらいの硬さで表面が整ってしっかりしています。レキ岩や砂岩では水の流れがあったため生きものの死体や骨がその場に留まり難く、更に石などにぶつかるなどして壊れてしまうため、化石は殆ど見つかりません。

少し離れた所から露頭を見渡しつつ、削れてへこんだ泥岩を見て「この時は雨が少ない雨期だったんだなぁ」とか、硬く出っ張ったレキ岩を見ながら「凄い大雨だったんだろうけど近くに棲んでいた恐竜はちゃんと避難出来たのかな?」など、太古の昔の景色を思い浮かべてみるのも良いものです。

化石保護技術員 奥岸 明彦

 

太古の生きもの館敷地内の露頭

太古の生きもの館敷地内にある露頭

 

近づいて観察できる露頭

露頭は近づいて観察することが可能です。

VOL.8太古の生きものたち・哺乳類編

今回は久々に篠山層群で発見された太古の生きもののお話です。

恐竜やトカゲなど、様々な生きものの化石が発見されている丹波篠山市宮田の発掘現場ですが、なんと!私たち人類の遠い親戚筋にあたる哺乳類の化石も見つかっています。

学名はササヤマミロス・カワイイ。哺乳類の中でも真獣類という人類と同じグループに属しています。ササヤマミロスの子孫が直接私たちに繋がっている訳ではありませんが、白亜紀前期の哺乳類の中では人類の祖先である生きものとかなり近い関係にあったと思われます。

そのササヤマミロスはどんな哺乳類なのかというと、体長は約十~十三センチで一見ネズミに似た容姿をしていますが、ネズミとは全く違う生きものです。さらにササヤマミロスは発達した臼歯(奥歯)を持っているのが特徴で、主に昆虫を食べていたと考えられています。学名にカワイイとありますが、小さくて可愛いから名付けたという訳ではなく、丹波篠山市出身で、世界的にも著名な霊長類学者である故・河合雅雄さんにちなんでつけられました。(男性名をラテン語の所有格で表す場合、末尾にiを付けるためカワイ+iでカワイイとなる)

一般的な人気や知名度という意味では恐竜類(化石)が一番だと思いますが、学術的な重要性や価値では私たち人類が属する哺乳類に勝るものは有りません。ササヤマミロス・カワイイってすごいんです!

化石保護技術員 奥岸 明彦

ササヤマミロス・カワイイ復元模型

ササヤマミロス・カワイイ復元模型

VOL.7生きていた頃の姿2

前回は骨(化石)を基にして生きていた頃の姿を復元する事の難しさをティラノサウルスを引き合いに出してお話ししましたが、今回はその続きとなります。

すでに滅んでしまった生き物ではなくても、現在生きている状態を観察できる現生種にも、骨から生きている姿形を想像するのがとても難しい生き物が結構います。

幾つか例を挙げるとすると、まずは象です。大きな体と同じく大きな耳と長い鼻を持ち、動物園に必ずいると言っても良いくらいよく知られた哺乳類です。その象の頭骨を見てみると、あの大きくて扇子か団扇のような耳がついているとは全く思えません。特に鼻は、骨の形から大きさという意味で立派な鼻だったのだろうという事は分かりますが、あれほど長くて手の様に自由自在に動かせるとは想像もつきません。参考までに象の研究者に尋ねてみたところ、生きている姿を知らなければ、象の鼻を正確に復元するのは無理だろう。との事でした。

次に挙げるのはマッコウクジラです。体長は十五mくらいで、とても大きな頭を持ち、角ばり出っ張ったおでこが特徴的な海棲哺乳類です。ところが頭骨を見てみると、平たくて口の先端へ向かって尖っている他のクジラ類の頭と同じような形をしています。これでは骨から大きな頭も角ばったおでこも想像する事はできません。

生きていた頃の姿が分かっている生き物は復元の答え合わせができますが、そうでない生き物の場合は永遠に「恐らくこうだろう。」のままです。何とももどかしい気分です。

(頭骨はネットの画像検索で【象 頭蓋骨】などのワードで調べる事ができます)

化石保護技術員 奥岸 明彦

VOL.6生きていた頃の姿

今回と次回は化石の紹介を一休みして、化石から生きていた当時の姿を復元するという事についてお話ししようと思います。

骨(化石)から生きて動き回っていた頃の姿を復元する場合、今も同じ種や近縁種が生きているのであればそれを参考にすれば良いので比較的簡単ですが、すでに滅んでしまっていると途端に難しくなります。

恐竜の場合を例として挙げると、現生の爬虫類や鳥類、哺乳類などを参考にしつつ骨の形や配置から筋肉と脂肪の付き方や姿勢、皮膚の質感や羽毛の有無など、当時の生活環境も踏まえて復元していきます。しかし、苦労して復元してもそのモデルが正しいとは限りません。

ティラノサウルス(レックス)は恐竜と言えば一番に名前が挙がるくらい有名ですが、四、五十年前はゴジラのように立ち上がり、尻尾を使って体を支えるような姿勢で復元されていました。皮膚もトカゲように全身を鱗で覆われている状態です。ところが最近の復元では、前傾姿勢で尻尾は頭とバランスを取るために宙に浮き、部位によっては羽毛が生えていてモフモフしています。(羽毛については、無い、部分的に有る、ほぼ全身に有るなど研究者によって意見が分かれています)

とても有名で全身の化石が有り、詳しく研究されているティラノサウルスでも、研究方法や考え方の変化によって復元モデルはどんどん変わってきています。言い換えれば、たくさん研究されるからこそ新しい発見が有り、それと共に復元される姿形も変わっていくと言えるでしょう。次回に続く。

化石保護技術員 奥岸 明彦

VOL.5太古の生きものたち・トカゲ編

篠山層群から見つかる太古の生きものたち。今回はトカゲを紹介します。

現在も発掘調査を行っている丹波篠山市宮田では恐竜の他にもトカゲ類化石が沢山見つかります。全て同じ種類のトカゲという事では無く、複数種のトカゲ類化石です。

その中にはすでに新種として発表されている物もあります。学名はパキゲニス・アダチイ(以下アダチイ)。白亜紀前期、日本と同じ大陸の一部だった中国で発見されたトカゲ(パキゲニス属)の親戚にあたります。体長は約七十センチあり、現生種であるニホントカゲやニホンカナヘビよりもかなり大きなトカゲです。

外見的には、公園を散歩しているとよく見かける現在のトカゲと大きさ以外は大差有りませんが、口の中、つまり歯の並びはとても変わっています。どの様に変わっているのかというと、一般的に知られているトカゲの場合、歯列は前から後ろ(喉)へ向かってかなり奥まで続いていますが、アダチイを含む白亜紀前期のトカゲ類の一部は、前の方(人間だと前歯にあたる位置)にしか歯が生えていません。イメージとしては歯ブラシです。顎の骨を歯ブラシの柄の部分、ブラシ(毛)を歯と見立てると何となく理解して頂けるかなと思います。

さて、そんな変わった歯と顎でアダチイが何をどの様に食べていたのかは残念ながら分かりません。私が調べた限りでは、世界中で今生きているトカゲ類に、顎の前部にのみ歯を持っているものは存在しません。せめて一種類だけでもいてくれれば参考になるのですが・・・。

化石保護技術員 奥岸 明彦

パキゲニス・アダチイ

パキゲニス・アダチイ

VOL.4 太古の生きものたち・恐竜編2

今回は前回の角竜類に続く恐竜編その二という事で、丹波篠山市西古佐にある丹波並木道中央公園(以下公園)で発見されたトロオドン類の化石についてお話します。

ほぼ全てが篠山層群の上にある公園で発見されたトロオドンはどんな恐竜なのかというと、体長は約一メートルで飛ぶ事は出来ないけれども腕に鳥類のような羽毛を持ち、二足歩行をしていました。獣脚類という事で恐竜類の中では恐らく一番有名なティラノサウルス・レックスの親戚筋にあたります。

腕に羽毛を持っていますが、残念ながら飛ぶ事は出来ないくらい小さな物です。ではなぜ飛ばない(飛べない)のに羽毛があるのでしょうか?一般的には飛べるように進化している最中だと考える方が大半だと思いますが、実は飛ぼうと進化していたけれども、何らかの理由で飛ぶのを諦めた恐竜なのです。どうしてそのような事が分かるのかというと、化石に諦めた証拠が残っているからです。恐竜類の生き残りである鳥類(カラスもスズメもニワトリも全て恐竜類の生き残りです)は飛ぶ事が出来るように少しでも身体を軽くするため、骨の中は空洞になっています。トロオドンも同じように空洞になっているのですが、元々は大きかった空洞が小さく塞がりつつある状態になっています。これは飛ぶのをやめて陸上で生きていくには、歩いたり走ったりジャンプしたりと足に負担がかかるため、空洞を無くして骨を丈夫にする必要があったからなのです。

せっかく飛べるように進化していたのにそれを捨てるなんて勿体無い!と思いますが私たちには分からない深い事情があったのでしょう。意外と飛ぶのが面倒になって挫折してしまっただけなのかもしれませんが・・・。

化石保護技術員 奥岸 明彦

トロオドン類(デイノニコサウルス類)

トロオドン類(デイノニコサウルス類)

VOL.3 太古の生きものたち・恐竜編

今回は篠山層群から見つかる様々な生きものたちの化石のお話その一です。

篠山層群が白亜紀に形成された地層である事は何十年も前から知られており、恐竜などの古脊椎動物(現在では絶滅した背骨を持つ動物)の化石が見つかる可能性があると思われていましたが、実際には貝化石や巣穴などの生痕化石ぐらいしか見つかっていませんでした。

しかし、二〇〇六年についに恐竜の化石が発見されます。通称、丹波竜。新属・新種で学名をタンバティタニス・アミキティアエという大型の植物食恐竜の化石です。この大発見を皮切りに現在七種類の恐竜化石が見つかっており、丹波篠山市内では宮田、丹波並木道中央公園、川代トンネルの三ヵ所から角竜類の化石が発見されています。まだ調査・研究中ではありますが、新種である可能性がとても高い素晴らしい化石です。

角竜類と言えば、映画や図鑑などにもよく登場し、三本の立派な角と特徴的な後頭部のフリルを持ち四足歩行をするトリケラトプスが有名ですが、篠山層群で発見された角竜類化石は成体でも体長一メートルほど(トリケラトプスは約8~9メートル)角も無く、フリルも少し出っ張っているかな?という程度です。更に二足歩行であったと思われます。

なぜこれほど差があるのかというと、実は生きていた時代が違うからです。トリケラトプスは今から約六千八百万年~六千六百万年前ですが、篠山層群産角竜類は地層の年代と同じ約一億一千万年前という事でトリケラトプスの倍近く古い型の角竜類であるため、身体も小さく、角もフリルもまだ殆ど進化していない状態なのです。何だか迫力に欠けるなぁ・・・と思われるかもしれませんが、角竜類の進化の初期を詳しく知る事が出来るとても貴重な化石なのです。

化石保護技術員 奥岸 明彦

篠山層群の角竜類

篠山層群の角竜類

一般的な角竜類(トリケラトプス)

トリケラトプス(一般的な角竜類)

VOL.2 1億1千万年前の風景

今回は今から約一億一千万年前、白亜紀前期の丹波篠山市とその周辺地域の風景についてお話しようと思います。

白亜紀前期、日本がまだ今のように島国ではなく大陸の一部だった頃、後に丹波地域となる所は大陸の沿岸部から少し中ほどに入った盆地部でした。盆地と言っても当時のまま今の篠山盆地に移動してきた訳ではなく、全くの別物です。詳しく説明するととても長くややこしいお話になってしまうので、大昔の盆地が紆余曲折あって偶然また盆地として丹波地域に形成されたと考えて下さい。

さて、当時(白亜紀前期)の盆地はどんな風景だったのかというと、まず川が流れていました。今から二、三十年くらい前までは湖沼だったと言われていましたがそうでは無く、最新の研究では蛇行河川、イメージとしては北海道の釧路川のようにグニャグニャと曲がりくねった川が流れ(現在の篠山川とは無関係)、その周りには釧路湿原の様な湿地帯が広がっていたと考えられています。ジャングルほどでは有りませんが、草や木が生え、緑豊かな地域だったと思われます。ちなみに季節は雨期と乾期の二つだけです。

篠山層群は雨期の増水による川の氾濫と共に泥や砂が溢れて湿地帯に溜まり、乾期に渇き、また次の雨期に川から溢れ・・・を繰り返して出来た地層です。今ではカチカチに固まった岩盤ですが元々は泥や砂です。そうした堆積物に様々な動物や植物が埋まり、約一億一千万年後、化石として、現在の私たちが当時の生態系や風景(環境)を知るための貴重な資料となっています。

次回は、実際にどのような生きものが発見されているのか、詳しくお伝えします。

化石保護技術員 奥岸 明彦

 

 

VOL.1「地面の中が面白い丹波篠山」

 

 

(さまざまな歴史と文化遺産に彩られた丹波篠山市。今から400年余り前、江戸時代に築城された篠山城とそれを取り巻くように広がる城下町や、さらに昔の古墳時代に造られた雲部車塚古墳をはじめとする古墳群など、それらを探訪するだけでも歴史好きにはたまりません。古墳時代よりも遥か昔、人類がまだ地球上に存在していなかった頃の遺産、言わば地球遺産と表現しても良いくらい素晴らしいモノが丹波篠山市にあるのはご存じでしょうか?

具体的にどこにあるのかというと、私たちが生活する、家の下、篠山城の下、ようするに地面の中にあります。そのモノの名前は「篠山層群」。

約10年前から小学校の授業でお話しているので、今の中学1年生から18歳くらいまでの市出身の子どもたちなら篠山層群を知っている、もしくは何となく覚えてくれているかもしれません。初めて篠山層群という言葉を聞く、あるいは聞いたことはあるけれどさっぱり意味が分からないという方のために簡単に説明します。

篠山層群とは、篠山盆地のほぼ全域と一部丹波市にまたがる、今から約1億1千万年前白亜紀前期の地層のことです。とても古い地層ですが、古いだけの地層ならそう珍しくはありません。もっと古い地層が日本のあちこちにあります。なのに、篠山層群が素晴らしいというのは、そこに数多くの貴重な化石が含まれているからです。

化石と言えば一番有名なのは恐竜化石だと思いますが、篠山層群からは新種の恐竜化石が複数見つかっています。恐竜以外にもトカゲ、カエル、貝や、今でも1億年前とほぼ同じ姿で生きている状態を水田で見ることができるカイエビ、植物が炭化した物、そして忘れてはならないのが私たちの遠い親戚筋にあたる哺乳類の化石など。その当時の生態系や風景を推測できるくらい、さまざまな生き物の化石が見つかります。

そんなすばらしく魅力的な篠山層群の地層や化石のこと、それに関するさまざまな取り組みについて、年3回のシリーズで皆さんにお伝えしていきます。

化石保護技術員 奥岸明彦

学名:パキゲニス・アダチイ(新種)

篠山層群から発見されたトカゲ類化石の復元模型 学名:パキゲニス・アダチイ(新種)

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