祝!!丹波黒大豆日本農業遺産その歴史(市長日記R3.2.25)

更新日:2021年02月25日

令和3年2月25日

丹波黒大豆の歴史を紹介します。

市役所の農都創造政策官の森本秀樹さんのお話から引用します。

 

黒大豆は、災いをはねのける黒い色と、「まめ」に働くという語呂合わせなどから、縁起の良い食べ物としてお正月料理に欠かすことのできない重要な素材である。特に「丹波黒」は世界一大きなダイズと言われるほどに他に類を見ない粒の大きさと煮豆にしたときの黒々と輝く色つやと芳香、さらには口にしたときのもっちりとした食感とうまみのバランスから新春を祝う極上の黒大豆として高く評価されてきた。

この「丹波黒」の発祥を探っていくと最も古い文献では現在の兵庫県丹波篠山市とされ、今日では580ha(2019年度)、枝豆を含めると777haで栽培され、全国一の面積を誇っている。

「丹波黒大豆」は丹波地域(京都府・兵庫県)に由来する黒大豆の総称として用いられている。その中で名称に確実に「黒豆」との記述が確認できる最も古い史料は1730年に刊行された全国の料理や料理方法などを解説する『料理綱目調味抄』である。文中に「くろ豆は丹州笹山の名物なり」「黒豆丹州笹山よし 押て汁煮染」と記されており、この頃にはすでに全国的な名産品となっていたことがうかがえる。

「丹波黒」が今日まで受け継がれ、地域の特産として栽培されている背景を探ると二つある。その一つは常習の水不足から生まれた「堀作」である。篠山盆地ではしばしば水不足に陥り、ムラの中で一部の農地にあえて配水せずに犠牲にする農地を設けた。さらにこの犠牲田を坪(水系)単位で土を堀上げ、高い畝をつくり畑地化して利用する栽培方法を掘作と称した。

もう一つは優良な種子の育成である。古くから個々の農家で良い種を選び出し、その種を代々大切にしてきた。現在、「川北黒大豆」は、水不足がより深刻であった川北村(現:丹波篠山市川北地区)の堀作で栽培され引き継がれてきた系統である。また、もう一つの「波部黒」は豪農大庄屋の波部本次郎氏が選抜育種したもので、日置村(現:丹波篠山市日置地区)を中心に栽培されてきた。

このようにして江戸時代は篠山藩の米に代わる年貢の対象作物として奨励され、1971年から減反政策が始まると、黒大豆、ヤマノイモで特産振興を図っていこうということであった。

集落単位に組織づくりを進め、共同での防除や乾燥、脱粒・調製、機械・施設の共同利用などが始まった。「集落の農業、農地は集落で守っていく」といった基本的な理念は変わっておらず、ここにも「堀作」で培われてきた協同の精神が引き継がれている。

現在、市内には集落営農組織が108組織あり、県下で最も多い組織数となっている。

NHKの料理番組にも出演されていた土井勝先生に「丹波黒」などの特産品を届け、料理方法について指導を仰いだ。

また、農業振興大会の講演会に松竹新喜劇の藤山寛美氏を招いたときに篠山藩の殿様が黒豆の煮汁で声が出るようになったという昔話を紹介したところ、松竹新喜劇南座でこれを題材とした「丹波の黒豆」が1か月間上演された。

1988年、「食と緑の博覧会(ホロンピア88)」が当地で開催された。このとき、「丹波黒」の枝豆を売り出した。するとその独特の味と粘り、味わえる期間の短いことなどが受け、爆発的に売れた。この「丹波黒」の枝豆が究極の枝豆として漫画『おいしんぼ』にも紹介され、その需要は年々増加した。

これまでの伝統や歴史が次の代にしっかりと引き継がれ、農都「丹波篠山」の農業がこれからも活性化していくことが期待される。

 

※『農業』(発行:公益社団法人大日本農会、令和3年(2021)1月号)に掲載されている森本政策官の記事の抜粋。

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