光秀死せず 丹波の国で生きていた!?(市長日記R3.2.8)
令和3年2月8日
昨日、大河ドラマ「麒麟がくる」が終わりました。
本能寺の変から3年、光秀は死んでなんかいませんでした。
丹波で生きている・・・のでした!?
丹波で安寧な世の中を願っているのです。
光秀が信長を討った理由もよくわかりました。大きい国、強い国をつくるためとは言え、余りにも人の命や心を軽んじていました。
最後は足利将軍の命を奪えと命じ、光秀はそれはできなかったのです。
期待していたお牧さんの逸話は描かれませんでしたが、「丹波」や「丹波攻め」はよく取り上げていただきました。
丹波の国衆たちは、足利将軍から任された領土をよく守り、その恩義、忠義を果たすため、たやすく信長に味方しませんでした。
強国な城を築き、戦ったのです。
この大河ドラマで、光秀が「裏切り者」ではないとよくわかりました。
本能寺に向けて出陣した亀山城のある亀岡市など、光秀と丹波は深い関係があることもよくわかりました。
善政をひいた福知山市の御霊神社(ごりょうじんじゃ)には光秀が祀ってあります。
大河ドラマの誘致に一番熱心だった長岡京市も最後に紹介されました。
更新日:2021年02月08日