河合雅雄先生を偲ぶ―生きとし生けるものの幸せを―(市長日記R4.5.30)

更新日:2022年05月30日

令和4年5月30日

5月28日に、昨年ご逝去された河合雅雄先生を偲ぶ会を開催しました。

偲ぶ会では雅雄先生と交友があった方や行政、市民の皆さんに参列していただき、追悼映像の上映や、篠山少年少女合唱団の皆さんによる雅雄先生の愛唱歌「手のひらを太陽に」の合唱がありました。

 

ご長男の河合透さんは、「人に何かするときには、見返りを求めてはいけない。自分は枯れることのない泉と思うように」という雅雄先生のお言葉を紹介しされました。

 

また、雅雄先生を偲んでの対談も行い、「森のにおいがしてくるような方だった」「弱きもの小さきものを慈しまれた」など雅雄先生のお人柄や思い出を振り返っていただきました。

 

当日は雅雄先生が研究生活を過ごされた犬山市とも中継をつなぎ、犬山会場からも追悼のことばや対談にも参加していただくことができました。

 

雅雄先生はこれからの市の施策に取り入れていくべき教えを残されていて、抜粋ではありますが、弔辞でお話したことを皆さんにお伝えします。

「河合雅雄先生のご生涯は、生きとし生けるものを愛し育み、人間とは何かといった哲学を追究され、多くの人に、愛情と教養、学問の素晴らしさを惜しみなく授けてくださるものでした。
若くして日本モンキーセンターを設立され、京都大学霊長類研究所教授を経て所長となられ、アフリカでの二十回にも及ぶ調査研究に挑まれ、世界の霊長類学の第一人者となられました。その後、京都大学名誉教授となられ、愛知大学や日本福祉大学でも教鞭をとられ、国際学術雑誌の編集長や、初代の日本霊長類学会会長などの要職を五十年にわたって務められ、大きな活躍をされてきました。
こうして、「世界のサル博士」として、世界中から尊敬され、霊長類学者として先駆的な役割を果たされました。
このような数々の輝かしいご功績から、紫綬褒章、勲三等旭日中勲章をはじめ、京都府文化賞特別功労賞、日本放送協会放送文化賞、文部省地方教育行政功労者、兵庫県勢高揚功労賞など多くの栄えある賞を受賞されました。
さらに、猿をはじめとするたくさんの生き物への深い愛情と豊かな感性から、児童文学者としても類まれなる才能を発揮されました。野間児童文学賞を受賞された「少年動物誌」をはじめ、産経児童出版文化賞を受賞された「小さな博物誌」、毎日出版文化賞を受賞された「人間の由来」、晩年に執筆された大作「ドエクル探検隊」など、子どもも大人も楽しく共感できる数々の不朽の名作を後世に残していただきました。

また、生まれ故郷丹波篠山の美しい自然や文化、生き物をこよなく愛され、これらを大切にするまちづくりに大きなご指導をいただきました。
兵庫県教育委員、丹波の森公苑長、兵庫県立人と自然の博物館館長、兵庫県森林動物研究センター所長を務められ、平成十四年に丹波篠山市にお帰りをいただいてからは、名誉市民となっていただき、市展審査委員長、篠山城築城四00年祭実行委員会名誉会長、日本遺産、ユネスコ創造都市の顧問など、丹波篠山市のまちづくりをリードしていただきました。
先生とご兄弟が丹波篠山の自然のなかで成長していかれるお姿を描いた映画「森の学校」は、人気を呼び今もファンの方が市内のロケ地を巡っておられます。
河合雅雄先生の愛された歌は、「ぼくらはみんな生きている」で始まる「手のひらを太陽に」でした。人間も色んな生きものも、強い者も弱い者も、みんなが共に生きる幸せを、そのご生涯を通じて私たちに教えてくださった、雅雄先生の人生そのもののような歌だと実感します。
そのような先生のお考えは、人と自然と文化が共生する兵庫県の丹波の森構想となり、丹波篠山市の進めるふるさとの森や川づくり、野生動物との共生を図る獣害対策、日本遺産のまちづくりに息づいています。

先生の思いは強く、特に行政への厳しいご指摘もありました。丹波の森構想は、自然や文化を大切にした丹波づくりを目指すものですが、すでに三十年も前からこのような方向性を示していただいたのは、当時としては画期的で、今や地方創生の先駆けと言われています。
日本全国同じようなまちの姿になるなかで、丹波篠山は城下町のまちなみや田園景観を大切にして、日本の原風景のまちとしてあるべきだと説かれました。
おかげで、丹波篠山市は美しい魅力あるまちとして、日本遺産のまちに認定され、多くの観光客でにぎわい、若い移住者も増えています。
また、先生が特に強い思いを持たれていた生き物の住める川や水路づくりについては、本年コンクリートの側面や底に穴をあけて、自然にとけこむよう、これを「農都のまほろば水路」と命名してのモデルを造りあげ、これを市内に、そして全国に広めるよう努めているところです。
さらに、農都のめぐみ米といって、化学肥料や農薬の使用を減らし、田んぼの中の生きものに配慮して中干しを延期する作り方も、農家の理解が広がり、今年は市内の学校給食はすべて農都のめぐみ米となりました。
機会あるごとに、市民に向けお話をしていただいたことは、今も市民の心に刻まれ、こうした大きな成果に結びついています。

そして、今や世界中が持続可能な社会をめざし、自然や環境、生物多様性を大切にしようという流れの中にあり、雅雄先生の残されたご功績やご指導が益々大切になっております。私たちがこれからもそのお教えを生かしていくことにより、みんなが共に幸せに生きる世界に向かうことを信じています。」

祭壇の上に飾られた雅雄先生の写真に向けて、市長が弔辞を述べている
雅雄先生の祭壇の前で、合唱団の子ども達が歌っている
偲ぶ会の参列者が献花を行っている
元犬山市長の石田氏が身振りを交えて話をされている
酒井市長がマイクを手に持って話をされている
モニターを右に設置して、5人で対談を行っている