戦没者追悼式(市長日記R5.10.27)

更新日:2023年10月27日

令和5年10月27日

今年は太平洋戦争が終わって78年、学徒出陣から80年になります。

丹波篠山市出身のご英霊1845柱の御霊(みたま)にふるさとにお帰りいただき、戦没者追悼式を行いました。

 

市遺族会の会長である石川英昭さんは次のように述べられました。

「戦没者の皆様は、祖国日本の安泰を願い、愛する家族の幸せを念じつつ、心ならずも尊い命を捧げられました。きっと自然豊かな丹波篠山へ帰りたい、もっと愛しい家族と暮らしたいと思いながら散華されたかと思うと痛恨の極みであります。

私ごとで恐縮ですが、私の父も昭和19年の1月に戦死しました。それを知らされたのは、その年の暮れになって届いた『パラオ近海ニ於テ敵潜水艦ノ魚雷攻撃ヲ受テ戦死セラレ候』という戦死広報でした。戦地に向かう途中だったようですが、詳しいことは何も分かりません。

一方、母の方は20歳で父と結婚し、翌年に私を出産しましたが、そのまた翌年には父が招集されてそのまま帰らぬ人となったのです。私が1歳と9カ月、母が22歳の時でした。

家族を想いながら海に沈んだ父の無念、取り残された母の辛い境遇を想いますと、今でも胸が痛みます。」

 

戦争の悲惨さとともに、命をかけて祖国を守り、ふるさとを守られたご英霊の尊さを若い世代に確実に伝え、二度と戦争を起こさないようにしなければなりません。

丹波篠山市は、平成21年に「非核平和都市宣言」を行っており、平和を願う心を大切に、まちづくりを進めてきました。残念ながら今、ロシアとウクライナの間では戦争が続いており、また、イスラエルとガザ地区では紛争がありますが、一日も早い終結を望み、世界の平和を願ってやみません。