「青い山脈」で母逝く(市長日記R5.4.14)

更新日:2023年04月14日

令和5年4月14日

母美佐子が逝去しました。89歳まで生かせていただきました。

家族葬とさせていただきました。

4月13日、春の良き日、ウグイス、ツバメの声に見送られ、自宅を出発。

若い頃学んだ、城南小学校、篠山女学校のあったお城を通っていただきました。

 

昭和8年岩崎に出生、20歳で結婚、夫は丹南町役場、兼業農家で、私と弟の二人の子を育てました。私の小さい頃、遅くまで農作業をしていたこと、酒樽巻きの内職をしていたこと、学校の旅行の時などは新しい服を買ってくれたこと、子犬をもらってきてくれたこと、高校を出て浪人、大学を出ても浪人するなど思い通りにさせてくれたこと、一人暮らしの時ダンボールいっぱいにお菓子を送ってきてくれたこと…。

 

夫が平成12年に逝去。それから23年間、俳句や大正琴などを楽しみにまわりの方々に良くしていただきました。

親しかった友だちが亡くなっていき、認知症を患ってからは、思い通りにならず、辛かったこともあったと思いますが、デイサービスや最後に咲楽荘で温かい介護を受けました。

 

市営斎場へは「青い山脈」の曲で旅立ちました。

たしか、小さい頃、バス旅行で母が歌っていたとかすかに覚えているのです。

 

酒井市長(23歳)とお母様

古い写真が出てきました。私が23歳(写真右)、司法試験の合格祝賀会で上京した時。