入院治療を受けて(その1)(市長日記R6.7.31)

更新日:2024年07月31日

令和6年7月31日

前立腺がんが見つかり、7月17日から30日まで、入院治療を受けました。
病院は神戸大学医学部附属病院でお世話になりました。
健康診断の結果、検査治療を受けていた病院からご紹介いただきました。
ふり返りたいと思います。


(一)手術――助けていただきました
私にとっては2度目の手術です。
1度目は、市長2期目の平成23年、鼠径(そけい)ヘルニア(いわゆる脱腸)の手術で、約5日間入院しました。
今回は大きな手術ですので、前日(入院した日)から緊張。夜は寝つけず、病院内のホールのところまで行ってウロウロ歩いていました。
18日、手術の日。午前8時30分に手術室へ。ロボット(たしかhinotori(ヒノトリ)と言われていたと思います)による手術で、機械に囲まれていたと思います。緊張は高まりましたが、先生達から安心してくださいと言われ、悪いところをとって良くなるんだ、と言い聞かせました。
麻酔のため、すぐ意識をなくしました。
手術は、4~5時間くらいだったようですが、無事終わり、「終わりましたよ」と声をかけてもらい、麻酔から覚めていきました。
この日はひと晩、ICU(集中治療室)です。
記憶は半分くらいしかないのですが、先生から「今、困っていることは何ですか」と問われ、いろいろ困っていると思っていたら、「ここにいること自体困っていると思いますが、その中でも特に何ですか」と尋ねられ、「おしっこがしたい気持ちがする」と答えたと思います。膀胱に管が入って、自然に排尿しているのですが、そう思いました。
この夜はウツロウツロ、寝たり覚めたりでしたが、この日ついていただいた看護師さんには、特によくしていただきました。一番苦しいなか、いろいろ声をかけてもらったり、うがいをさせてもらったり、腰やおしりが痛くならないよう場所を変えてもらったりした覚えがあります。
本当に助けていただきました。


(二)歩きなさい、動きなさい――デカンショで便が開通
3日目から一般病棟へ。
すぐ「歩きなさい、動きなさい」と言われました。
尿の管、点滴の管がついているのですが、それらを歩行器にのせて歩くのです。
まずベッドから立ち上がるのが大変でした。
お腹に4か所ほど穴をあけてロボットでの手術だったので、比較的体への負担が軽いとはいえ、お腹が痛くて力なんて入りません。
「どうして立ち上がるのですか」と尋ねると、ベッドの手すりを持つなど、手の力で起き上がるのです、お腹に力が入ると痛いので、「ハァー」と息をはきながらするのです、と教えてもらいました。
4日目、5日目に少しずつ歩行器をたよりに歩けるようになりました。
4日目のお昼からは、食事が出ました。今度は早く便が出るよう、歩いたり動いたりしなければなりません。
5日目(7月21日 日曜日)にはNHKテレビの「民謡魂」という番組が丹波篠山市の田園交響ホールから録画での放送があり、楽しみに見ました。
市職員の赤松部長、奥山君がデカンショを踊って大活躍。
うれしくなって、便が出ました。
手術から一週間たった7月25日には検査があって、問題ありませんとのことで、やっと尿の管がぬけました。


(三)一日2500ccもの排尿
前立腺は膀胱と尿道の間にあって、排尿などのコントロールの役割を果たしていたのが、これを手術で摘出したため、どうコントロールするかが課題です。
尿の管が抜けてからは、紙オムツをしており、最初は紙オムツへの排尿なのですが、これを尿意を感じ、自分の意思で排尿できるようしなければなりません。
これが、すぐうまくできる人と、何か月かかってできる人とがあるとのことです。
尿もれを防ぐため教わったのが「骨盤底筋体操」という肛門のまわりの筋肉をきたえるトレーニングで、毎日励んでいます。
尿をする度、オムツの中でした量、自分の意思でした量を計って記録していきます。
トータルすると、私は一日に2500cc以上排尿していました。看護師さんには、たくさん排尿することはよいことだと言ってもらえるのですが、夜などすぐ尿意を感じ、寝ておれません。
手術のあとだからたくさん排尿するのかな、あるいはどこかおかしいのかなとも心配になりました。
答えがわかりました。それは、私がたくさん水分を飲んでいたからです。
500ccのペットボトルで水2本、スポーツドリンク2本とっていました。たくさん尿が出て当たり前のことでした。
退院後の排尿がきちんとできるよう、これからです。

病室からの景色

病院の11階からよく眺めた景色です。手前のグラウンドでは暑い中、よく草野球をされていました。