初の「清兵衛まつり」(市長日記R7.5.7)

更新日:2025年05月07日

令和7年5月7日

丹波篠山では、夏は農業に励み、秋の稲刈り・収穫の後、灘五郷などに酒造りに出稼ぎへ行きました。丹波(たんば)杜氏(とうじ)です。

丹波杜氏は丹波篠山人の歴史であり「真面目、勤勉、我慢強い」という人柄もここから生み出されたと言われています。

 

この丹波杜氏の道を開いたのが、市原村の清兵衛です。

江戸時代中期(寛政12年)、篠山藩内は不作が続いており、藩は出稼ぎが原因として酒造出稼ぎの禁止令を出しました。

農民は米作りだけでは生きていけず、出稼ぎを認めてほしいと訴えるため強訴しようとしました。

このことを知った清兵衛は農民を戒め、藩庁に出向き「不作は天候のためで出稼ぎを禁止されたら年貢も出せない」と訴えましたが聞き入れられませんでした。

そのため清兵衛は息子を伴い江戸を目指し「酒造出稼ぎを認めてほしい」と藩主青山忠裕に直訴しました。

藩主への直訴は大罪で清兵衛親子は直ちに篠山へ送り返され、およそ10年にわたる獄中生活を送りましたが、直訴を受けた忠裕はその不合理さに気付き調査の結果、2年後に酒造出稼ぎは解禁となりました。

 

義民・清兵衛は酒造出稼ぎの功労者として丹波杜氏組合や酒造関係者、地元の有志の方から崇敬されるようになり、昭和26年に篠山城近くに顕彰碑が建てられました。毎年、丹波杜氏の蔵入りシーズンの前に新任・転任杜氏と組合関係者が参拝し、良酒造りの誓いを新たにされています。

 

清兵衛親子の菩薩寺の西方寺(今田町今田新田)の林昌伸住職さんによって、初めての「清兵衛まつり」が開かれました。

清兵衛を後世に伝えるとともに、ユネスコ無形文化遺産に登録された日本酒を世界に発信されます。

林住職さん

林住職さん

丹波杜氏の皆さん

丹波杜氏の皆さん

市原清兵衛碑
挨拶をする市長
清兵衛まつりの様子
清兵衛まつりの様子
清兵衛まつりの様子