半世紀ぶりのテニス界のプリンス達(市長日記R8.7.22)

更新日:2026年07月22日

令和8年7月22日

篠山鳳鳴高校テニス部の先輩(岸野さん)がお帰りになることから、私の学年(4人全員)、一つ下の学年(6人、男子はほぼ全員)が集まりました。

当時、一生懸命テニスに打ち込みました。

兵庫県高校総体でベスト8進出という、鳳鳴テニス部史上一番の戦績です。

その「テニス界のプリンス」や「テニスの鬼」の姿は今いずこ、歯が抜けたり、髪の毛がどこかへ行ったり、時の経つのは残酷なのです。

 

テニス部集合写真

 

でも、みんな元気です。

これまでそれぞれの人生を元気に歩み、活躍してきました。

それは、高校時代、テニスを頑張り、特にみんなよく走ったからではないかと私は思います。

土のコートは冬になるとテニスができません。

そのため、毎日マラソンコースを走ったり、王地山で走ったり、石の階段でカエル跳び、片足跳びなどの特訓でした。

10キロのマラソンコースを途中までは一緒に走るのですが、キャプテンの「ゴー!」の合図で、あとはみんな必死に走るのです。

おかげでテニス部はみんな足が速く、郡内(当時、多紀郡でした)一周駅伝では、陸上部を除いて一番速かったのです。

校内マラソン大会では19番だったことが自慢です。1番でもなければ10番以内でもないのですが、私にとっては快挙なのです。

 

肝心のテニスは田舎の我流のテニスで、「打点は低く」など、今から思えば誤った先輩の教えを守り通していました。

走るばかりでなく、もっとテニスの基礎を学んでおけば良かったのですが、田舎テニスでも全く悔いはありません。

 

部活動が「地域移行」になっても、子どもたちが部活動に親しみ、打ち込める環境をきちんと作るべきだと、強く思っています。