【終了】丹波篠山に伝わる古文書「丹波国多紀郡和田村 石田家文書の世界 」の開催

更新日:2022年06月18日

 これまで丹波篠山市史編さん事業のために、皆様から多くの貴重な資料を寄贈していただいています。令和2~3年度の間に、14名の方々から、約5,200点の資料を寄贈していただきました。こうした寄贈された数多くの貴重な資料について、市史編さんに活用するため順次整理作業を進めており、今年度から中央図書館で「丹波篠山市史編さん新発見・新収蔵資料展」として定期的に皆様に公開します。
 第1回資料展として、令和3年5月に寄贈された石田家文書の一部を初公開します。

1 開催期間

令和4年5月20日(金曜日)から6月17日(金曜日)まで

※5月23日、30日、31日、6月6日、13日は休館

2 開催場所

丹波篠山市立中央図書館 展示ホール(丹波篠山市西吹88-1)

3 石田家文書について

 石田家文書は、近世に和田村庄屋・畑組大庄屋・郡取締を務め、 近代には戸長や村長などを歴任した石田家に伝わる4,100点を超える資料群です。幕末から近代にかけての動乱の時代の丹波篠山の社会情勢や生活の様子を伝える大変貴重な資料であり、質・量ともに和田村や旧篠山藩領の統治や生活を考える上での中核的資料ともいえます。石田家が大庄屋を務めた畑組は、江戸時代の篠山藩領に 22 ある大庄屋組の1つで、それらの大庄屋組を3つに束ねた上組・中組・南組では上組に属していました。上組にかかる資料群としては、泉村の山田家文書や八上新村の中西家文書などが知られていますが、石田家文書が加わることによって、さらなる研究の進展が期待されています。

4 展示資料

(1)丹波多紀郡第九区村々略図(たんばたきぐんだいきゅうくむらむらりゃくず) 明治年間

 畑組11ヶ村をとりまく地形と村々の位置関係および寺社を示した略地図です。河川や水路は水色、街道その他の道は赤色で色分けされています。畑組は里畑村6ヶ村と奥畑村4ヶ村および般若寺村で構成され、石田家はこの地図に示された地域を、江戸時代の畑組大庄屋や明治時代の畑組戸長として管掌していました。

丹波多紀郡第九区村々絵図

(2)殿様御供致シ在京中日記(とのさまおともいたしざいきょうちゅうにっき) 元治元(1864)年

 元治元年に第4代当主の石田又左衛門が書き残した、禁門の変※に関する記録です。藩と村との接点となる郡取締だった又左衛門は、各村から徴発された郷夫・人足や猟師の引まとめ役として、藩主青山忠敏に随行し京都入りしました。禁門の変の勃発直前の日常に始まって、事件後も混乱が続く京都のようすや、戦闘の模様など、自らが体験した出来事を詳しく記録しています。職務上書き残した日記ですが、主観を交えつつも冷静に書き記す筆致は、単なる役向日記では終わらない迫力を資料に与えています。

※禁門の変・・・・・元治元年に長州藩が京都に進軍し、御所の禁門周辺で、会津藩兵・薩摩藩兵などからなる幕府軍と武力衝突を起こした事件。蛤御門の変とも呼ばれます。

殿様御供致シ在京中日記

(3)申年免定 里畑村高之内和田村(さるどしめんじょう さとはたむらたかのうちわだむら) 万延元(1860)年

 江戸時代の年貢は、村ごとに課せられる村請制といわれるものでした。藩はその村でどれだけの米がとれるか(村高)を検地で決め、これに基づいて納めなければならない年貢額を決定して免定(年貢割付状)を作成し、毎年村に出していました。今回展示している文書は申年(万延元年)に篠山藩から石田家の在所である和田村に出された免定です。万延元年は百姓一揆が勃発した年であり、免定の内容からこの年、年貢の減免がなされたことがわかります。同年泉村の免定(山田家文書)にも減免がみられることから、同時期に起きた百姓一揆をうけて藩側の譲歩がなされたと考えることもできそうですが、篠山藩政史料の調査を進めることで当時の動きを正確にとらえることができるとおもわれます。

 

申年免定

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