光秀丹波攻めの悲話-母お牧の遺訓(R2.9.24)

更新日:2020年09月25日

令和2年9月24日

9月19日、光秀の丹波攻めをめぐり旭堂南左衛門さんの講談と、桐野作人さん(歴史研究家)の講演がありました。

南左衛門さんは私と同級生なのですが、今や上方講談協会の会長も務めて、「師匠」と呼ばれています。この日のために息絶え絶えになりながら高城山に登り、お牧の遺訓の新しい脚本も作っていただき初のお披露目でした。

 

光秀は八上城を囲むように砦を築き、濠をめぐらせ、塀を築き補給路を断ちました。波多野勢は草木も食べつくし、みな飢えやせ衰え、耐えかねて砦をはい出ても光秀方に惨殺されます。残るも地獄、逃げるも地獄、もはや落城は時間の問題とされました。

そんな折、近江坂本から光秀の母お牧の方がはるばるやってきたのです。

そこで、光秀に諭します。

「信長が武をもって天下を制したとて、親を殺され子を亡くし、妻を失った人々の恨みは世に満ち、再び相争う修羅の地獄へと戻ってしまうのではありますまいか。それは王道にあらず。光秀殿の目指されるのはそのような天下でございますか。そもそもそなたが目指されたのは、天下に武を布くことではありますまい。静かに、穏やかに、和を以って天下を平らかに治めることであったはずです。」

「今、波多野の衆は蔵の米、城中の草木、牛馬を喰らいつくして、飢え衰え、思い余って場外に降りて来たものは我らの兵に切り捨てられていると聞いた。もはや抵抗できぬものをなぶり殺しにするのは、戦とは言わぬ、鬼の所業じゃ!」

「今一押しで落ちるなら、手立てを尽くして説得し城を開かせるのも攻め手の情けではありますまいか。」

「成就のためには、私が波多野の衆の元に参りましょう。残った兵の命を助けることを条件に城を開くよう説得なさいませ。私の一命が質となるのであれば喜んで参りましょう。」

「信長の布武のためでなく、そなたの、また、土岐家に連なる明智の名を人々の怨念で汚さぬようお願いするのでございます。」

 

これで、なぜお牧の方が人質になったのかよく分かりました。

素晴らしい講談で感動しました。この講談はこれからも色んなところで市民の皆さんに聞いていただければと思っています。

また、ユーチューブでも配信しますし、希望者には録画したDVDをお渡しします。

 

桐野作人さんのお話では、「織田軍記」などで、このお牧さんの人質の話は広く知られているとのことでした。

 

そして、これは昼食の時にお聞きしたここだけのお話しなのですが、大河ドラマ「麒麟がくる」では12月頃にこのシーンが期待されるとのことです!

15年前の「秀吉」では、お牧さんを野際陽子さんが演じて「光秀、天下を」「さあ、私を早く殺しなさい」と大いに盛り上がりました。

講談師が高座で講談をしている
桐野作人さんが講演している
座席の間隔を空けて講演を聞く観客ら
市長、司会者と共に講談師、講師が舞台に並んでいる
市長と司会者の熊谷奈美さんが並んで笑顔