立杭はわしがふるさと「下中弥三郎」展が陶の郷で開催中(フォト@丹波篠山)
「敬天愛人」の扁額は弥三郎直筆の書。色紙とともに弥三郎のひ孫にあたる丹誠窯 大西誠一さんのご協力で展示しています。
「立杭の地から希望の炎 平和のあかりを世界へ」は、戦争のない世界を願う丹波焼の窯元さんによる書
弥三郎の書を写した丹波焼の皿と(公財)下中記念財団所蔵の弥三郎の関連書籍
弥三郎の書は、「立杭は わしがふるさと はたらいて 十九のくれまでくらしたところ」
「一致協力」の扁額と弥三郎の写真

「一致協力」の扁額は、今田まちづくりセンター相談室兼会議室に掛けられています。昭和29年秋、下中弥三郎氏が揮毫され、旧今田村に寄贈、今田小学校講堂に弥三郎の写真とともに飾ってありました。後年、小学校建てかえの際、今田公民館(現まちづくりセンター)に移されたものです。

「立杭の巨星下中弥三郎」の力強い題字は、丹波焼窯元さんによる書
★丹波立杭から世界へ。希望の炎を、平和の灯を
世界平和を提唱した下中弥三郎の祈りを感じとってみてください。
日本初の百科事典をつくった男は、丹波焼(立杭焼)の陶工だった。
出版社「平凡社」の創業者、下中弥三郎の知られざる原点。
立杭の少年陶工は、なぜ世界平和をアピールする巨星になったのか。
19歳まで過ごした丹波立杭という風土が持つ深い歴史とは…。
展示会場: 陶の郷 TAMBA GATEWAY CENTER(旧伝習会館) 企画展示室
展示期間:2026年8月13日木曜日から8月31日月曜日 10時00分から17時00分
入場料:無料
主催:丹波立杭陶磁器協同組合
協力:丹波篠山市、公益財団法人下中記念財団
下中弥三郎は、1878年(明治11年)6月、今田村(現丹波篠山市今田町)下立杭で、寺子屋と窯業を営む家に生まれる。2歳のとき、寺子屋の教師であった父を亡くし、7歳で祖父も亡くなり、家計を支えるため小学校を3年で中退。幼くして家業の窯業に従事せざるを得なかった。陶工として厳しい修行をしながら読める本は読みつくして独学で勉強し、17歳で陶磁器の販売組合を結成し、組合長になる。
さらに立杭焼の品質向上の必要性を感じ、窯業を学ぶため、工業学校窯業科への入学を目的に神戸に出るが、これが教師になるきっかけとなる。
そして23歳で「小学校に於ける国語及び其教授法」を自費出版する。24歳で東京に出て、のちに「出版とは教育である」という理念のもと、平凡社を創業。
1955(昭和30)年11月、湯川秀樹らと【世界平和アピール七人委員会】を結成。1958(昭和33)年12月、旧今田村の第1号の名誉村民となる。
(丹波立杭陶磁器協同組合「下中弥三郎」展ちらしから転載)
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更新日:2026年08月19日