篠山市誕生記録集

更新日:2020年05月15日

合併までの経緯

1999年4月多紀郡4町(篠山、西紀、丹南、今田)が合併して篠山市が誕生しました。 明治以降行政区画としては1町18カ村に分かれていましたが、1955年6町に合併しました。 そして多紀郡に再び大きな政治課題として第二次合併が持ち上がったのは1958年1月のことでした。 以来1974年まで5回の合併が持ち上がり、いずれももう一歩のところまでいくのですが関係町村の合意に至りませんでした。 「篠山町百年史」などからこれまでの経過を見ます。

1958年当初に計画された篠山市制案

当時の篠山町長の提案によるもので、第1回の会合が1月15日郡内の町村長、郡選出県議会議員、県地方課長、丹波財務事務所長らによって行われ、1郡1市をめざして研究することとした。
そして、早速1月21日郡内の町村長等が京都府綾部市を視察した。その後、町村の意向から、合併意志の強い篠山、城東、多紀、西紀の1町3カ村が合併しようと、同年8月6日第4回協議会で話がまとまり、9月末日までに申請して、人口3万人で市制が認められる特例に寄ろうとしたのである。
ところが多紀郡を2分する市制には県が好ましくないとの見解を取り、また、ある地域で財産問題が歩み寄りできず合併不参加を表明したので同年9月6日市制促進協議会を解散した。

6色に塗られた現在の丹波篠山市の地図。各村の境界線が書かれてる。

1954年以前の旧町村界 1町18カ村

現在の丹波篠山市の地図が6色に塗られている

1975年3月までの6町

1960年再燃した市制問題

この時は、郡内の各種団体から町村合併を進めるべきだとの要望が相次ぎ、2月1日郡内各町村長、議会議長、県地方課長、丹波財務事務所長等を交えて、市制研究会を結成することとした。
その後、11月1日初の多紀郡市制研究会を開き、1961年度から市制を実現しようと申し合わせた。
話は余り進展を見なかったが、1962年10月ようやく、市制協議会の総務委員会で市の名称は「篠山市」がよいとの意見を出した。
しかし、庁舎位置も決まらず、各町合併条件等も未提案で、時期尚早論もあり、また、破局となり、市制協議会も1962年12月20日解散した。

1966年に3回目の市制問題おこる

9月3日郡町長会を開き、郡議長会から申し入れのあった「市制問題について地方自治法第252条の規定に基づく、合併協議会を設けるよう善処すべきである」とのことについて協議の結果、各町長ともこれを承認し、9月中に各町一斉に合併協議会設置を議決することとした。
そして10月4日第1回の多紀郡市制協議会を開催し、1967年3月末日までの合併特例期間内に市制を実現しようと話し合い、早急に市制の可否を決定することになった。
第2回の協議会は同年10月14日で、本格的な審議を始めた。「市会議員の定数と選挙区並びに現議員の任期」「農業委員の定数と選挙区」「職員の身分の取り扱い」「公共団体の取り扱い」「市制発足の年月日」「合併の形態」「一部事務組合の取り扱い」「財産の取り扱い」「支庁舎の設置」等、幹事会でまとめられた。
その後、幹事会では問題の本庁舎の位置について、慎重に協議が行われたが、全幅の合意に達することができず、また財産の持ち寄りについて県は財産区の設定は認めがたいとの方針であったので、これも一部の町との話し合いがつかず、3度目の正直を期した市制問題も1967年の早々不成功に終わった。

1970年におこった多紀郡一本化の推進

広域市町村圏事業の要項を県から説明を受けた多紀郡は、はたまた、合併問題との絡み合うこととなる。
広域市町村圏事業というのは、地域の振興を図るため、人口10万を基準として地域指定を行い国の財政援助によって行政面において共通し一本化できる事業を広域行政で推進しようというもの。
多紀郡は、人口こそ基準に足りないが、既にし尿処理、伝染病、土木機械、教育事務組合、税務等の事務処理電算センターなど、広域化は他の地方に比して相当進んでいる。
したがって多紀郡の場合はむしろ6町合併が望ましい。過去3度も合併が不成功に終わっているが、時代の移り変わりに対処するためにも、もう1度考え直すべきだというものであった。

5月8日町長会において次の談話を発表した。
「4度目の正直を期して来年4月1日を発足目標に郡一本化を図ることで各町長の意見がまとまった。今後は各町議会、総代、住民各位の協力を要請する」というもの。
6月26日には「多紀郡6か町合併推進事務局」と木の香りも新しい看板を掲げて、郡教育事務組合の1室で事務を開始した。
過去再三合併協議を尽くしているので、事務局では「合併協議会の会則案」や「合併に関する協定事項案」は比較的早くまとまった。
7月3日の各町長、議長の合同会議では、過去の合併失敗に基づき、十分住民の納得を得る必要がある。慎重によく検討していこうということになった。
ところが、合併推進の最中に、重要な鍵をにぎる町長が病気で長期入院したり、8月にいたって合併不参加を表明した町もでき、各町の足並みもそろわず、またもや郡一本化は絶望となった。

1973年に起こった5度目の郡一本化構想

同じことを何回行ってるのやと郡民の中には陰口をいうものもいたが、今度こそと5度目の郡一本化を唱えて立ち上がったのは1973年1月10日の郡町長会の初会議であった。
それほど、社会の進展、住民生活の高度化に対応した行政を行うには合併による強力な自治態勢が必要だと考えられるからである。
広域行政圏の設定で一段と環境整備を図り、その勢いで一気に合併しよう。その実現目標を1975年4月1日とすることを町長会で確認した。
そして、各町長、議長の合同会議を開き、議会側の協力を要請すると共に、各町から、企画、財政の担当職員で合併プロジェクトチームを編成したのである。
6月下旬には合併の基本構想をつくり、これを発表した。「合併の形式」「合併の時期」「新町の名称」「役場庁舎の位置」「支所と取扱事務」「議会議員の任期と定数」「農業委員会の定数」「町税の課税」「消防団と施設」「職員の身分取り扱い」「小学校の通学区域」「町長選挙」など具体的に発表した。
各町とも1973年12月議会で「篠山町ほか5か町合併協議会」の設置議案を可決したのであったが、1974年2月15日の第3回合併協議会で庁舎の位置問題で空転した。
その後協議会の小委員会で庁舎位置等について新町協議を重ねたが、全幅の了解点に達せず、また、財産問題も協議を整わず、ついに4月16日多大の期待もむなしくまたもや不成功に終わった。
しかし、東部3町(篠山、城東、多紀)はその後も協議を重ね、1975年3月合併して篠山町になった。

6回目の正直 99年4月合併実現

前回の合併協議から20年近く暮れた1992年8月28日多紀郡議会議員研修会が開催された折、多紀郡合併問題が話題となりました。
1996年3月4日第1回多紀郡合併研究会(町長、議長)開催され、1996年4月18日には第3回多紀郡合併研究会開催され、合併基本5項目を確認しました。これはこれまでの合併の障害となった事項について先に取り除いておくものでした。

【基本5項目】
1.合併形式=各町とも対等(合体)合併とする
2.新町名=「篠山」を入れた名称とする
3.合併期日=1999年4月1日とする
4.新庁舎の位置=篠山町役場とする
5.財産の取り扱い=財産等はすべて持ち寄る

これをうけて4町議会において、篠山町・西紀町・丹南町・今田町合併協議会設置の議案を可決しました。する(3/10・篠山町、3/11・西紀町、今田町、3/17・丹南町)

そして1997年4月1日地方自治法および市町村の合併の特例に関する法律に基づく「合併協議会」発足しました。
1997年4月15日第1回篠山町・西紀町・丹南町・今田町合併協議会開催
●1997年12月29日第10回合併協議会開催。新町名を「篠山町」とすることで確認
●新町建設計画および合併協議内容について、住民説明会 多紀郡内25会場
●1998年3月31日第15回合併協議会開催(合併協定項目、全44項目について確認)
●1998年4月27日第16回合併協議会。合併協定調印式)

●1998年4月28日4町臨時議会開催合併関係議案議決
●1998年9月24日兵庫県議会で議決
●1998年10月21日 県知事が許可処分、自治大臣に届出
●1998年12月議員提案で市町村合併特別措置法改正提案。市制の人口要件を4万人に引き下げ(2005年3月までの)
●1998年12月18日市町村合併特別措置法が施行
●1999年4月1日新市発足

現在の丹波篠山市の地図が4色に塗られている。

1999年3月までの4町

合併の概要

1999年4月1日兵庫県多紀郡の篠山町、西紀町、丹南町、今田町の4町が合併して、新・篠山市が誕生しました

■新町名篠山市

■人口約47,000人

■面積377平方キロ

■新庁舎現在の篠山町役場
兵庫県多紀郡篠山町北新町41

■支所城東、多紀、西紀、丹南、今田
 

兵庫県の地図。現在の丹波篠山市にあたる4町が色分けされている
丹波篠山市を構成するこれまでの町名と面積と人口
これまでの町名 人口(人) 面積(平方キロメートル)
篠山町 22,777 187
西紀町 4,451 54
丹南町 15,241 84
今田町 4,088 52

合併の経過

■1958年~1973年この間、5回の合併協議が起きるが、いずれも最終合意に至らず
★過去5回の合併の経過はこちら
■1975年3月28日篠山町・城東町・多紀町が合併し、現在の「篠山町」が発足。この結果、多紀郡は4町となる
■1992年8月28日多紀郡議会議員研修会が開催された折、多紀郡合併問題が話題となる
■1996年3月4日第1回多紀郡合併研究会(町長、議長)開催される
■1996年4月18日第3回多紀郡合併研究会開催。合併基本5項目を確認する

【基本5項目】
1.合併形式=各町とも対等(合体)合併とする
2.新町名=「篠山」を入れた名称とする
3.合併期日=1999年4月1日とする
4.新庁舎の位置=篠山町役場とする
5.財産の取り扱い=財産等はすべて持ち寄る

※1996年3月4~1997年3月
・多紀郡合併研究会11回開催
・合併研究会だより4回発行
・各町で住民説明会開催(1996年10月22日~11月28日 65会場 1,874人参加)
・多紀郡合併研究大会(シンポジウム)開催(1996年11月30日 525人参加)


■4町議会において、篠山町・西紀町・丹南町・今田町合併協議会設置の議案を可決する(3/10・篠山町、3/11・西紀町、今田町、3/17・丹南町)
■1997年4月1日地方自治法および市町村の合併の特例に関する法律に基づく「合併協議会」発足
■1997年4月15日第1回篠山町・西紀町・丹南町・今田町合併協議会開催
■1997年12月29日第10回合併協議会開催。新町名を「篠山町」とすることで確認
■新町建設計画および合併協議内容について、住民説明会 多紀郡内25会場
■1998年3月31日第15回合併協議会開催(合併協定項目、全44項目について確認)
■1998年4月27日第16回合併協議会。合併協定調印式)

※1997年4月15日~1998年4月27・「合併協議会」16回開催
・合併協議会だより8回発行・住民から新町名募集(1997年8月20日~9月17日 385通、63種類)
・各町で住民説明会開催(1998年1月31日~2月12日 25会場 1,133人参加)


■1998年4月28日4町臨時議会開催合併関係議案議決
★4町議会が市制施行を議決
■1998年9月24日兵庫県議会で議決
■1998年10月21日 県知事が許可処分、自治大臣に届出
■1998年12月議員提案で市町村合併特別措置法改正提案。市制の人口要件を4万人に引き下げ(2005年3月までの)
■1998年12月18日市町村合併特別措置法が施行
■1999年4月1日新市発足へ