軒を接して衆議院議員選挙に二度も立候補

更新日:2021年10月12日

国会議員選挙では稀なことであろう。1937年(昭和12年)4月衆議院議員総選挙において、兵庫県第5区の最南端の福住にあって、軒を接して活発な選挙戦が展開されたのである。前代議士の肩書きを持つ民政党の植村嘉三郎と、県会議員4回連続当選の新人、山川瀬三郎である。植村嘉三郎は東京にいたが、郷里の福住(山川瀬三郎宅の東隣り)で軒を連ねての激烈な代議士選挙戦となった。

第5区の定員3名、選挙の結果は新人の山川瀬三郎にがい歌が上がり初当選の栄を得た。

さらに、1942年(昭和17年)4月この二人は再び総選挙に立候補したが、前回に比して候補者多数で、もともと選挙区としての地の利も悪く両者とも落選の憂き目をみたのである。