住吉神社 大杉と盤座が始まり

更新日:2020年06月25日


大杉と磐座が始まり

古市の町並みから西へ約500メートルで国道372号は不来坂峠にかかる。頂きは丹南町と今田町の境に当たる。
坂道を下った右手のこんもりとした「蛙の森」に鳥居が見え、急な石段を登ると住吉神社がある。
右に春日神社、左には八幡神社と稲荷神社が相殿として祭られている。
現在の今田町域は古くは住吉大社の播磨国賀茂郡椅鹿(はしか)山神領に含まれる御杣(おそま)山(用材供給の山)であり、平安初期には大社の小野原荘となった。
「東大寺文書」の天喜3(1055)年の文中には「多紀郡西県住吉御領小野原御庄」とあり、国役が免除されていた。
その後、御獄山清水寺との境界論争もあったが、荘園が成立するとともに建てられた小野原住吉神社は終始、地域の総氏神であった。
境内西の山林の中に「かくれ杉」という神木がある。
その昔、住吉神がお越しになった時、杉の木の後ろにお隠れになったので、その名がついたという。
この杉の木の下には盤座(神が鎮座するところ)として使った石組みの遺構が残っている。それを「かくれ宮」と呼ぶことから、杉の大木と磐座が住吉神社の始まりだろう。
この神社は通称「蛙の宮さん」と言われている。10月4、5日の例祭の神舞には鶴と亀を白く染め抜いた素袍(すおう)を着た踊り手が、5人がビンザサラ(竹製の打楽器)、3人は締め太鼓を持って登場する。
互いに跳び交う時に、足拍子を合わすための「ヘイッ、ヘイッ、カエロ、カエロ」という掛け声からとも、跳ぶ姿が蛙に似ているからとも、また、森が蛙のように見えるからともいう。
この祭りは中世より荘官の下司(一般事務)、公文(収納、訴訟)、田所(田畑の管理)の3職を中心に当人(世話役)たちが奉納し治めた一種の田楽である。
奇祭として多数の参けい者でにぎわう。