七、安藤直紀(あんどうなおき)

更新日:2021年10月13日

安藤直紀の写真

明治初年混乱した郷土を治める-
初代多紀郡長(明治12(1879)年)・初代篠山町長(明治22(1889)年5月14日)初代鳳鳴義塾長(明治16(1883)年)・初代県会議員(明治21(1888)年)
(明治44(1911)年逝去75才・墓は来迎寺)

安藤直紀は、天保8年(1837)に生まれ、篠山藩主青山忠良、青山忠敏の二代にわたって使えた藩士である。文武両道に深く通じ、時勢を達観して先見の明があった。幕府は倒壊し、人々の心は不安とさまよいの最中にあって、気骨稜々の直紀は、勇断もって人々の意向をまとめた。
直紀は、篠山旧城を県から300円で買い戻して篠山町に寄付した。藩主青山家の意志をうけて、この旧城の大書院を弟子の教育の場にしようと明治8年1月(1875)に「篠山小学校」を開設した。郡内では始めてのことで郡の全域から入学した。篠山城は、築城以来実に260余年をもって文教の場として衣替えしたのである。(この趣旨は、「篠山城惜別の碑」 に安藤直紀撰文並に吉によって刻まれている。青山歴史村に現存の碑)。明治九年には、直紀等14名が青山忠誠に協力して「私立篠山中年学舎」を春日神社内に設けて藩内の弟子を教育した。
安藤直紀は、明治初年期に政治と教育の両面にわたって活躍した偉大な人物であったことは見逃すことはできない。