佐野保太郎(徒然草研究)

更新日:2021年10月13日

徒然草研究の第一人者 佐野保太郎(さのやすたろう)

佐野保太郎の写真

日本の古典文学研究で第一人者国文学者の佐野保太郎は明治20年(1887)篠山立町で生まれました。
明治38年(1905)鳳鳴義塾を卒業、第一高等学校を経て明治44年(1911)東京帝国大学文学部を卒業後、文部省に入り旧制山形高校校長などを歴任した後、昭和16年(1941)旧制高知高校第七代校長として赴任し、戦中から戦後の最も混乱した時期を南国高知で子弟教育に力を注ぎました。
教育者としても多くの業績を残しましたが国文学者としての佐野の方がよく知られています。日本の古典文学特に徒然草の研究では第一人者として著書も多くあります。そして今日も佐野保太郎が新釈した徒然草や万葉集などは多くの人たちに読まれています。
昭和21年(1946)旧制高知高校移転問題が解決したのを期に職を辞し自宅に引き籠もりましたが、積年の心労も重なって昭和25年(1950)1月64歳で帰らぬ人となりました。