惟中守勤禅師(丹波に禅風を確立)

更新日:2021年10月13日

丹波に禅風を確立した 惟中守勤禅師

三岳を主峰に700メートル級の山々が連なる多紀連山。その南麓山々にに囲まれるように神護山太寧寺がある。 かつて曹洞宗大本山総持寺の護持輪番を努めた名刹である。 嘉吉3年(1443)丹波国守細川持春は父満国追善のため、惟中を招いて畑庄にこの太寧寺の創建を命じた。 開山となった惟中は、名を守勤と称し、摂津の生まれである。 当代無類の傑僧といわれた竺山得仙の弟子で、惟中の禅風を頼って集まり来る僧はあとをたたなかったという。 惟中守勤は30余の歳月を経て、文安3年(1446)秋、禅林にふさわしい太寧寺の伽藍は完成し、丹波における禅風は大いに盛り上がった。禅師は自ら、師弟の関係、修行の心得を末代のために、 「一棚ノ傀儡 舞袖軽ク翻ツ 歌鼓罷ム処 乾坤ヲ踏破ス」の遺偈(遺言)を残し、文安4年(1447)3月に没した。