河合家の人々(京大の河合3兄弟)

更新日:2021年10月13日

河合家の人々

幼き日の河合兄弟の写真

幼き日の河合兄弟

京都大学の米山俊直さんの「小盆地宇宙と日本文化」に篠山のことが大きく取り上げられている。その中で小京都篠山が生んだ文化人河合兄弟のことが詳しくふれられています。
京都大学の河合兄弟として多くの人に知られています。あのモンキー博士として有名な河合雅雄さんが書いた「少年動物誌」はいまなお、多くの人に読み継がれ、熱烈なファンが河合兄弟が育ったささやまを探索に訪れています。
米山さんの著書から引用しながら河合家の人々を紹介していきましょう。

◆河合雅雄氏と河合隼雄氏

河合雅雄氏(かわい まさを)
1924年、兵庫県篠山町に生まれる。京都大学理学部動物学科卒。京都大学霊長類研究所教授、所長を経て、現在財団法人日本モンキーセンター所長、日本福祉大学教授、京都大学名誉教授、兵庫県教育委員、理学博士、丹波の森公苑長、県立人と自然の博物館館長。朝日賞、NHK放送文化賞、紫綬褒賞受賞。著書は「ゴリラ探検記」(講談社)「少年動物誌」(副音館書店)「人間の由来上・下」(小学館)「小さな博物誌」(筑摩書房)など多数

◇河合隼雄氏(かわい はやお)
1928年、兵庫県篠山町に生まれる。京都大学理学部卒。京都大学名誉教授。国際日本文化研究センター所長。臨床心理学。国行政改革会議委員。著書は「無意識の構造」(中央論者)「ユングの生涯」(第3文明社)「影の現象学」(講談社学術文庫)「昔話と日本人の心」(岩波書店、大佛次郎賞)「明恵 夢を生きる」(京都松柏社)訳書にユング「人間と象徴」「ユング自伝」ほか。

河合氏を語る

米山俊直著「小盆地宇宙と日本文化」抜粋 1990年4月発行 (岩波書店)

河合雅雄著作集の写真

河合雅雄著作集

少年動物誌

 

ひとはそれぞれ、忘れられない印象を受けた本をもっている。その本にどうしてめぐりあったかはさまざまだが、一生記憶に残っているだろうと思う本が必ずあるものだ。河合雅雄氏の「少年動物誌」はわたしにとってそういう本の一冊である。

河合さんはこの春まで京都大学の霊長類研究所教授、定年で退官されて、いまは日本モンキーセンター所長と愛知大学の教授である。世界の学界で第一級の評価を得ているサル学の権威である。「ゴリラ探検記」「日本ザルの生態」などの名著の存在よく知られているが、近年も「サルの目ヒトの目」「人類進化のかくれ里」「森林がサルを生んだ」(いずれも平凡社)と、あいついでいで興味ふかい本を出版されている。アフリカ・エチオピアでゲラダヒヒを調査した成果が、「かくれ里」である。その後カメルーンにも足をのばし野外調査が進行中である。

専門的な本に加えて、草山万兎というペンネームで童話を書いている。「ゲラダヒヒの紋章」(福音館)はその一冊である。また湯川秀樹博士の創刊した季刊雑誌「創造の世界」(小学館)を梅原猛、作田啓一両氏とともに編集している。今西欽司、井谷純一郎氏らとともに朝日賞を受けている。

いわば河合さんは、いわゆる京都学派のにない手の一人である。仕事の関係で、わたしも河合さんとしたしくなり、著書をいただくようになった。はじめにあげた「少年動物誌」もその一冊である。

篠山の話のなかに、なぜ本のことが出てくるのか。じつはこの本は篠山で生まれ育った河合雅雄さんが、その少年時代のことを書いた「思出の記」なのである。そこには、両親や兄弟、お手伝いさん、学校の先生、お医者さん、腕白同士で敵対関係にある「在所」の子供たちなどが登場するが、主役は小学生の河合さんがつきあった篠山の自然と、動物たちである。

はじめに、粟島神社の夏祭の情景が描かれ、その夜店で買ったモル氏-モルモットを、弟のミト-道雄氏と二人で育てる話。モル氏は三年目に七十匹にふえてしまい、売ったりわけたり四十匹にしたが、エサの草刈りを毎日つづけ、冬は笹を刈ったり、ついに畑の麦を刈ってきてしまったという話。

つづいてエノキの大木がある裏の薮の動物達、椋鳥の大群、鶏を襲う狐、アオバヅク、あまえすぎてバンドリ(ムササビ)が来るという裏の納屋へお父さんに入れられる話。この調子で、権現山、篠山川、篠山城址、風深の里などが美しく描かれる。

小学校の頃から病気がちだった河合さんは、「動物学者になってアフリカへ探検や調査に行くようになったのですから、自分で不思議に思います。わたしの成長をとことん支えてくれたのは少年期の深い自然とのつきあいにあったと思います」と書いている。

その篠山を歩いてみた

心理療法と昔話

ひさしぶりの歓談にうたう写真

ひさしぶりの歓談にうたう

サル学者の河合さんを紹介したならば、続けてその弟さんでヒト学者である河合隼雄教授を紹介しなければならないだろう。そしてもう一人、先年まで医学部精神科の助教授であった河合逸雄さん(現在は国立療養所宇多野病院勤務)を加えて、三人の京都大学の先生がいたことになる。私はこの河合兄弟のことを話のタネにして、「京大には以前湯川博士を含む小川兄弟が有名でしたが、いまは河合兄弟がいます」ということにしている。日本の地方文化の水準の高さ、盆地の実力の証拠に、この方たちを紹介しているのである。 大切なことは、この河合兄弟がじつは六人兄弟で、のこりの三人はいまも篠山にいる、ということである。世界的水準の人々が篠山から育ち、おなじ血をわけた人々がそこにいる。これは日本の地方文化の水準が、けっして中央とか大都市とかいわれている場所に劣っていないことの証明なのだと思う。

兄さんたちのことは後まわしにして、まず順序として隼雄先生のことを紹介しておこう。

先年まず京大の教育学部長つとめた隼雄さんは、理学部数学科の出身で、改めて心理学を学び、アメリカを経て、スイスのユング研究所でユング派精神分析家の資格をとってきた臨床心理学者である。日本を母性社会と名付けて、独特の分析をおこない、「無意識の構造」(中央公論社)では日本人の心理の奥底が、西洋人のように閉じられていない底抜けであることを示して評判になった。フロイトに学びながら、それから分れて独自の理論を生んだユングを、日本に本格的に紹介したのも隼雄さんであり、「箱庭療法」というおもしろい心理療法を日本ではじめたのもこの人である。神経症の人に箱庭の材料をあたえて自由に作らせるうちに診断し、病気を治してしまうこの方法は、スイスでユングの高弟カルフからの直伝である。

また隼雄さんは、「昔話と日本人の心」(岩波書店)によって大佛次郎賞を受けている。

雅雄さんが仲間と朝日賞を受けたのと好一対である。昔話の分析はユング派深層心理学の手法でもあるが、子供の頃の読書のせいでもあると、ご本人が「日本人とアイデンティティ」(創元社)に書いている。最近「明恵 夢を生きる」(京都松柏社)という大変おもしろい本を書かれて、また評判になった。

六人兄弟を育てた河合家では、「少年クラブ」などは土曜日と日曜日しか読ませてもらえず、お天気のよい日は外で運動させる規則だったという。兄さんの雅雄氏の「少年動物誌」には、ミト-迪雄という弟が登場してきて、一緒にモルモットを飼ったり、篠山の山野をかけめぐって動物や昆虫とつきあったり、篠山川の八幡淵のウサギやナマズを制圧したりしているが、これはいまもいたずらっ気のある隼雄さんかと思っていたら、両氏の間の迪雄氏らしい。

河合家の人々

私は隼雄先生にお願いして、篠山のお兄さんたちを紹介していただくことにした。じつは、小盆地の巡礼を志していて、篠山を訪問したいという話をしたら、隼雄さんが兄さんたちを紹介するからぜひ会いなさい。篠山と電話のやりとりをしていただいて、長兄にあたる河合仁氏から篠山に着いたら連絡するよう。昼は忙しいが、夜仲間を集めておくから、食事をして、泊まって行きなさい、というご案内をいただいた。仁さんは外科のお医者さんで、昼間は診療時間なのである。

河合家の先代の秀雄氏夫妻の間に七人の男の子がある。一人は夭折されたようだが、長男が今のべた仁氏で外科医、次男が公氏で篠山の北にある西紀町で内科医、三番目が雅雄氏、四番目が迪雄氏、篠山町内で歯科医、五番目が隼雄氏、そしてすこし年がはなれて六番目の逸雄氏である。