阪東直三郎(平ベルトを開発)

更新日:2021年10月14日

阪東直三郎

日本で初めて調帯(平ベルト)を開発 阪東直三郎(ばんどうなおさぶろう)

阪東直三郎の写真

明治20年(1887)、国がドイツから買い入れた機械に木綿で織った布製ベルトがついていて、これを栃木県出身の後藤定平がベルトの研究として始め、その後、阪東直三郎もこの研究に加わりました。
明治23年、直三郎は日本木綿調帯会社の立て直しをまかされ、彼はこれを国益事業であるという認識に立ち、心身をかたむけてその事業に取り組みました。その後も木綿調帯の研究は続けられ、明治34年、直三郎の発明による阪東式木綿調帯(木綿製平ベルト)が専売特許を取り、西洋より遅れていた工業化促進に一翼を果たしたことはいうまでもありません。
阪東直三郎は嘉永3年(1852)、旧篠山藩士浦山半十郎の第三子として生まれ、後に阪東の家を継ぎました。若くして郷里を離れ、活躍の舞台を東京に求め、種々苦労を重ねながら布製ベルトの開発に全力をかたむけました。その後、有能な経営人により阪東式調帯合資会社を設立。会社は発展を遂げましたが明治42年、広島県呉において木綿調帯の試運転中、事故により直三郎は死亡。57歳でした。今日、阪東直三郎の精神はバンドー化学株式会社に引き継がれています。