小山禎彦(雪見だいふく)

更新日:2021年10月14日

小山禎彦さん

雪見だいふくの小山禎彦さん

雪見だいふくの写真

小山禎彦さんのプロフィール

 

1935年2月14日 堺市浜寺に誕生
6歳のとき両親の故郷 岡野村東岡屋(現篠山町)に戻る
兵庫農科大学(現神戸大学農学部農芸化学部)に学ぶ。
1972年株式会社ロッテに入社
菓子類の新製品開発に従事し、のど飴、チョコパイなどのヒット商品を開発。とくに大ヒットとなった「雪見だいふく」は企画室長として開発に従事。
1987年からソウルに移り、韓国ロッテのホテル、レジャーランド、デパート新設の企画に携わっている。

(たんば田園交響ホール支配人 小山剛久記 波部 喜代志<khabe@pluto.dti.ne.jp> さん推薦

新聞記事から

ホテル資材、世界から調達
釜山ロッテワールドプロジェクト常務理事 小山禎彦
1996年(平成8年)11月18日(月曜日)「毎日新聞」夕刊

新聞記事から

毎日新聞

「古里に帰ろうと再就職したのに、まさか異国での生活が9年にも及ぶなんて」。韓国・釜山市の副都心、西面地区。今年暮れのオープンを目指す釜山ロッテホテル(41階建て)10階事務室で、ロッテの出向社員、小山禎彦さん(61)は目を細めながらニンジン茶を口に含んだ。
1958年に神戸大学を卒業、東京の製糖会社に入社したが、「いつかは故郷の丹波(兵庫県篠山町)で仕事がしたいとずっと思っていた」。1972年に親類から「ロッテが丹波にアイスクリーム工場を建設するらしい」と聞き、すぐにロッテの入社試験を受けた。37才の転職だった。東京本社時代は、新商品開発チームに加わり、「のど飴」などのヒット商品を生み出した。姉妹会社の韓国ロッテグループがソウル市にホテルや百貨店を建設する際、東京のプロジェクトチームに加わり計画をバックアップ。その実績を買われ、同グループが1988年から始めた釜山ロッテワールドプロジェクトの常務理事に招かれた。以来、釜山ロッテデパートや隣接のホテルの計画、設計責任者として采配を振るってきた。当初は部下との会話も秘書を通していたが、今では流暢な韓国語でてきぱきと指示を与える。昨年4月、ソウルから釜山に転居し、同年暮れにデパートがオープン。今はホテルの建設資材の調達が主な仕事だ。セメントから鉄骨、室内の大理石まで自分の目で確かめるため世界各地に飛ぶ。旅行雑誌社に頼まれ韓国編の執筆を手がけるほど、韓国に惚れ込んでいる。間近に迫ったホテルのオープンに、全 力投球の日々が続く。 「釜山で元田 禎」