今村静斎

更新日:2021年10月14日

今村静斎

篠山焼の陶工 今村静斎(いまむらせいさい)

今村静斎の写真

今村静斎は本名を静治といい、天性芸術を好み、絵画茶道に通じ、陶器に対しても造詣の深いものがありました。静斎はこの地方に丹波焼王地山焼が焼かれていたことに深い興味をいだき、陶工を志しました。
明治40年(1907)21才の時、篠山出身の画家平尾竹霞(ちくか)の世話で京都陶器試所に出所、京焼の名工高橋道八(どうはち)らの指導を3年間受け、明治42年に帰郷。王地山焼の旧窯を発掘して自宅に築窯し、篠山焼の名で大正2年に初窯を出しました。
作品には丹波焼や王地山焼に使われた当地方の土や陶石を使用。王地山焼、高麗焼等の手法を取り入れた茶陶器が多数を占めました。その後も研究を重ね、博覧会において優秀賞を獲得。東京、大阪で数回の個展を開き、関西に多くのファンを持ちました。新しい篠山焼の創作研究に意欲を燃やし、作品の手法転換を試みつつある時、病に倒れ、惜しくも大正11年32歳の若さで世を去りました。