下中弥三郎(平凡社の創設者)

更新日:2021年10月14日

下中弥三郎

出版界の重鎮 下中弥三郎

下中弥三郎は明治11年(1878)、今田村(現今田町)立杭に陶工喜久蔵の子として生まれたが、早く父をうしない、母の手一つで育てられた。持ち前の辛抱強さと頑張りによって、小学校卒業後は独学によって教員検定試験を受け、小学校教師となり、また師範学校の教師となった。 さらにはジャーナリストに転じて、婦人の地位向上運動にも積極的に活躍した。 そして昭和の初め、「平凡社」を起こし出版事業を始め、世界美術全集、大衆小説全集、百科全集等を次々に世に出し、一躍出版界の第一人者となった。
その後、世界連邦を主唱し、世界平和7人委員会のメンバーとして活躍するととも、日中文化交流にも大きな役割を果たした。
下中弥三郎伝刊行会編「芳岳」の8月号の中に「弥三郎は陶工の外は、常に一介のサラリーマンに過ぎなかったが、常に己の事業、己の仕事としてベストをつくした。やがてその集大成が、「平凡社」という自己の事業に発展した」と記されている。