平野零児(情熱の作家)

更新日:2021年10月14日

平野零児

情熱の作家 平野零児

尾崎士郎や井伏鱒二らの作家と親交があって、戦前、戦後に活躍した作家、平野零児が篠山出身とはあまり知られていない。
平野零児、明治30年(1897)旧篠山藩士内山駒次郎の6男として、丹南町北野新田に生まれた。生後、親戚筋に当たる平野力三郎の養子となり、東京英語学校に学びつつ作家を志し、馬場孤蝶の門に入った。
大正7年(1918)毎日新聞社に入社、その後、中央公論社、文芸春秋社の特派員として中国に渡った。 昭和31年、中国より帰国、本格的な作家活動に入り、日本エッセイストクラブ、東京作家クラブ、文春クラブの会員として分筆生活のかたわら、岡倉天心、直木三十五など顕彰事業に力を注いだ。 著書に「マンゴウの雨」「人間改造」「中共虜記」「満州の陰謀者」などがあり、京都新聞に「西陣太平記」、神戸新聞に「みなと太平記」を連載した。「マンゴウの雨」は著者が東南アジア方面へ派遣されたときの経験をもとにしてかかれたものであるが、作品の中に東南アジアの美しい風景がふんだんにありこまれている。
1961年7月より「学校太平記」(神戸新聞)の執筆に入ったが、病にかかり、死期の寸前で口述筆記を続け、8月26日、64の生涯を閉じた。