松崎蘭谷(篠山封彊志)

更新日:2021年10月19日

松崎蘭谷

篠山封彊志を著した 松崎蘭谷

松崎蘭谷は享保年間(1716~35)に活躍した篠山藩儒学者で、名を祐之、通称を多祐と称し、甘自という号も用いました。 学問は江戸時代初期の儒学者としてよく知られた伊藤仁斎に学び、幅広い知識と人間性は多くの人達に愛されました。
元禄元年(1688)篠山藩主松平信庸の侍史兼侍講となり、藩主の京都所司代、老中就任にともない京都、江戸に従って、儒学を講義したり、政治学について意見を述べるなどしました。
中年後は字を好み、とくに草書、隷書を得意としました。またそのほかにも本草学(植物学)を研究しました。
享保元年(1716)篠山藩領内の古蹟、寺社名産などを調べて「篠山封彊志」を著しました。そして他にも「山陰雑筆」「蘭谷集」等の書物を世に出し、篠山藩の政治にも万尾時春ともども大きな影響をあたえましたがおしくも享保20年(1735)7月に病没、享年62、篠山の東の丘王地山三昧墓地に葬られました。