小島啄弥(篠山農業の先導者)

更新日:2021年10月19日

篠山農業のリーダー 小島啄弥さん

篠山の農業がおもしろい

小島啄弥さん の写真

丹波篠山といえば、丹波黒大豆、山の芋など全国ブランドの特産品が多数あり、今や篠山という地名自体が、秋の味覚のブランドになっているという人さえいます。
神戸ビーフ、松阪肉など有名な和牛の素牛(子牛)は、ほとんどすべて兵庫県の但馬牛です。その但馬牛を肥育する産地が篠山をはじめ、県下にいくつかあります。神戸ビーフは、丹波篠山などで育った牛です。この篠山牛も篠山の気候が生み出す逸品といえるでしょう。

【小島さんの肉牛の主な経歴】
農林水産大臣賞 4回
兵庫県畜産共進会 2回受賞
近畿東海北陸肉牛共進会 1回受賞
全国肉牛経営発表 1回 など

黒豆、篠山肉牛、篠山の農業の先導者

小島啄弥さん(1938年5月生)は、丹波黒枝豆、そしてこの篠山牛を育ててきた第一人者です。現在、篠山市生産組合協議会の会長もされ、誰もが認める篠山農業のリーダです。小島さんは、農業を勘に頼るのではなく、常に、理論的に分析し、それまでの篠山の農業に新しい視点を与えてくれました。

畑の写真

1957年当時の篠山農業高校を卒業すると同時に、自営農業に進み、61年には、約20頭の肉牛経営をはじめ、旧篠山町が合併した1975年には、現在の和牛の理想肥育にふみきり、頭数も徐々に増加させました。合併によってできた新篠山町の『人づくり、組織づくり、土づくり』というスローガンを掲げた新しい農業づくりにも、先頭で参加し、瀬戸現篠山市長らとともに肉牛部会を結成し、若手による畜産農業経営群を生み出しました。
篠山盆地を見渡す広々とした黒豆畑1988年丹波地方を中心に開かれたイベント「ホロンピア88」は、大きな転機になりました。小島さんが生産組合長を務めていた小多田生産組合は、それまで困難とされていた黒大豆の作業の機械化を進め、ホロンピアから数年前には、黒豆の枝豆の生産をおこなっていましたが、この年、黒枝豆は一挙に全国にその名が知られることになったのです。
先人が作ってくれた特産と、ここでしかできないという丹波の気候風土に感謝しながらも、決してその立場におごることなく、真の産地として消費者に喜んでもらえることを第一に考えました。小島さんの基本は、(都市)消費者のニーズを掴むことにあります。都市消費者と一緒になって地域の農業が作っていくことが必要とふれあい農園をスタートさせ、特産館ささやまでの青空市に取り組んできました。
特産館ささやま「一部の農作業や収穫をともにし、昼食を一緒に食べる。農地と作物が縁となっての交流になればと思っています。ほとんどが兼業農家であり、課題も多いが、篠山の農業は、やっぱりおもしろいといえるようにしたいです」と抱負を語ってもらいました。
牛肉をめぐっては、今、牛海綿状脳症(BSE)騒ぎのただ中ですが、小島さんたちの心のこもった農業経営が、きっと信頼を回復する突破口になることでしょう。
 

※この記事は2001年11月に掲載されたものです。