出口源市さんを悼む(市長日記H25.2.3)

更新日:2103年02月03日

平成25年2月3日(日曜日)

 篠山市人権推進課 出口 源市さんの訃報に接し、早すぎるお別れにただ悲しく思います。

 出口さんは、昭和48年篠山産業高等学校地域開発課を卒業され、旧城東町役場に奉職、昭和50年に篠山町となりましたが、農林振興課、ガス水道課、教育委員会などで勤められ、ことに人権同和教育の推進と、たんば田園交響ホールでは大きなご活躍をされました。

 明るく、優しく市民と接し、市民からも役所の中でも「源ちゃん」と慕われ、愛されました。

 また、職員組合の委員長としてもご活躍され、働きやすい職場環境づくりにご尽力されました。

 さらに、仕事を離れても、デカンショ節保存会、青年団活動、ボランティア協議会、県多紀ハッピーボーイズなど、地域の中で様々にご活躍されました。

 これほどに市民の中で、そして市民と共に頑張ってこられた出口さんは、篠山市の誇りです。

 出口さんと私とは同い年になりますが、忘れられないのは名ランナーとしての姿です。

中学校3年生の時の駅伝大会で、前年に兵庫県大会を制した丹南中学校を退けて優勝されたのが城東中学校でした。出口さんはその城東中学校のエースとしてその颯爽とした走りぶりで、その名を轟かせ、私は中学校の時から出口源市の名前を知っていました。

 本当にいろんな分野で頑張り続け、そしてその人々に愛されました。

 どうかふるさと篠山市をお見守り下さい。

 心からご冥福を申し上げます。