篠山養護学校40年(市長日記H26.12.15)

更新日:2020年03月24日

篠山養護学校が40年を迎えました。

本校は、昭和49年4月に創立され、以来、保護者や教職員の皆さんをはじめ、関係者の大きなご努力によって、今や日本一の養護学校とも称されるほど、素晴らしい発展を遂げてこられました。
創立された頃は、市民の障害児教育や障がい者への理解や関心も、まだまだ低かったものと思われますが、本校の発展とともに、篠山市における障害児、障害者施策も大きく進み、卒業生の皆さんも、市内の色々な職場で活躍され、多くの市民、地域の方々が支えておられます。

記念イベントとして、障害者野球チーム「神戸コスモス」から3名の選手、コーチにお越し頂きました。
主力選手の中山選手は、青い稲妻と呼ばれ、高校生の頃、交通事故で右手が不自由となりましたが、左手一本でキャッチング、ピッチングが見事です。
篠山養護学校卒業生の中本君は野球がしたくて、神戸コスモスに入り、試合にも出場できるようになり、頑張っています。
「障害があっても、好きなことを見つける。右手が使えないなら、左手を。足が使えなくても、車イスでピッチングをする人もいるそうです。」
生徒や先生たちとキャッチボールなども楽しんでおられました。
これから篠山養護学校に野球部ができるかもしれません。

午後には、医療的ケアが必要とされる重い障害をもつ人をどのように支援するかを考えるフォーラムがありました。
ボーンクリニークの杉本 健郎先生のお話のあと、篠山市ふれあいセンターや親の立場などから意見交換がありました。重度障害があって、人工呼吸器を装着した時のたんの吸引や胃ろうによる経管栄養中の見守りなどの医療的ケアをどのようにみていくかという課題です。
これらの障害があって、養護学校に通学できないケース、養護学校を卒業しても、その後のケアが十分できていない実状などが浮き彫りにされました。
杉本先生は、重度の障害があっても地域で快適に生きていくことのできる社会を目指そうと訴えられました。