大石芳野さん「福島 土と生きる」(市長日記H26.3.27)

更新日:2020年03月24日

 3月22日、世界平和アピール7人委員会の講演がありました。今田町出身の下中 弥三郎さんが会員であったことから、3年前に初めて、下中さんの没50年を記念して、篠山市で開催して頂き、以降昨年に引き続いて、開催して頂いています。

 今回は世界的な写真家、大石 芳野さん(7人委員会)の「福島 土と生きる」と題しての、お話が感銘を呼びました。

 大石さんは「土は人間の原点です。その土が汚され、ふるさとを奪われました。もし自分だったらと思って見て下さい。福島は今も何も変わっていません。汚染水は増え続けているだけです。」と語られました。

 また、小沼 通二さん(物理学者、7人委員会)は、「原子力が見つかって100年、100年経ってもその処理方法が見つからないということは、もう見つからないということ」と語られました。

 以下、大石さんの撮られた写真の一部と、小沼さんの文章の一部を紹介します。

荒れてた田畑に、一匹の黒い犬がこちらを振り向いて立っている様子の白黒の写真

高線量の長泥で、飼い主に置き去りにされた犬が荒れた田畑を彷徨いながら、懐かしそうに寂しげな眼を向けた。[飯舘村/2011年5月]

奥には山が連なっており、人影のない村で田んぼと住宅や倉庫が写っている白黒の写真

全村避難となって人影はない。葛尾村は交通事故死亡者ゼロの記録を更新しつつあって、役場の前には「4097日」の電光板が点っていた。[葛尾村/2012年8月]

道路の真ん中に1匹のダチョウが立っており、奥には白いトラックと店舗が写っている写真

大熊町のダチョウ園から逃げたダチョウが6号線を走る車を追う。羽根は汚れてやつれ、空腹が耐え難いのか悲しい目を向けた。[浪江町/2011年11月]

山の向こうに送電鉄塔がいくつか立っており、中央に住宅と倉庫が並び、手前には草が生い茂っている様子の白黒の写真

東電福島第一原発から3km地点。1時間あたり100マイクロシーベルト以上の線量が測定された。[大熊町/2011年11月]

納屋の屋根の下にペットボトルに菊の花束が生けられており、建物の周りには雑草が生い茂って雑然とした風景の白黒の写真

男性(享年54歳)の妻は「震災以降、たびたび自宅に通っていた。でもまさか…。残念です」と嘆く。「まじめ過ぎたから持ち堪えられなくなったのかもしれない」と母は言う。納屋に紐を掛けて自らの命を絶った。[小高区・南相馬市/2012年6月]

住宅の庭先を歩いている佐藤 義明さんとにエプロンを付けたひろこさんが写っており、倉庫の前に一匹の首輪を付けた犬お座りをしている白黒の写真

佐藤 義明さん、ひろ子さん(56歳)夫妻。子ども3人、孫8人。「代々、土地を耕して作っていくのがわれらの役目と思っている。家の周りで1時間当たり5~7マイクロシーベルトあるけれど、避難しない。犬のラッシーもいるから」[飯舘村/2012年6月]

ビニールハウスや畑、木々が植えてある庭の上に、鯉のぼりが泳いでいる様子の白黒の写真

静かな里にこいのぼりが泳ぐ。力強い明日を迎えたいと願うように。[二本松市/2012年4月]

写真:『福島 土と生きる』大石芳野写真集より

大石 芳野(おおいし よしの)

東京都出身。写真家。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、ドキュメンタリー写真に携わり今日に至る。戦争や内乱、急速な社会の変容によって傷つけられ苦悩しながらも逞しく生きる人々の姿をカメラとペンで迫っている。2001年土門拳賞(『ベトナム 凜と』)、2007年エイボン女性大賞、同年紫綬褒章ほか。

写真集

  • 『パプア人』
  • 『ワニの民 メラネシア芸術の人びと』
  • 『沖縄に活きる』
  • 『夜と霧は今』
  • 『カンボジア苦界転生』
  • 『HIROSHIMA半世紀の肖像』
  • 『ベトナム 凜と』
  • 『コソボ 破壊の果てに』
  • 『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』
  • 『コソボ 絶望の淵から明日へ』
  • 『子ども 戦世のなかで』
  • 『黒川能の里』
  • 『<不発弾>と生きる 祈りを織る ラオス』
  • 『それでも笑みを』ほか
市長と大石 芳野さんが並んで記念撮影している写真

小沼 通二さんの文

 1950年代後半に日本で最初の原発を輸入する計画が起こったとき、原子力分野の基礎に当たる原子核・素粒子物理の研究者グループと、研究者の国会と言われた日本学術会議(首相の諮問機関)では、私も含めて、安易な導入計画を批判し、基礎と応用のバランスを考えた研究・開発の必要性、耐震問題を含めた安全性、使用済み核燃料と高レベル放射性廃棄物の処理方法が未解決のまま見切り発車を行うことの不適切さ、経済性の恣意的算定と不確定さなどについて具体的な指摘を行った。これら外部からの批判に対しては平行線の議論と無視を重ね、提案はほとんど無視して、いわゆる原子力ムラの中だけで進めてきたのだった。

 原子力の研究・開発・利用の健全化に努めた湯川秀樹原子力委員、原子力委員会原子炉安全審査部会の坂田昌一専門委員、田島英三原子力委員という物理学者が相次いで辞任を余儀なくされた原因を解明・解消することなく、安易な利用を進めてきた結果が、福島原発事故だった。

 原発の運転では、スリーマイル(米国)で、福島と同じく冷却に失敗して燃料棒が溶け落ちるメルトダウン事故(1979年、レベル5)を起こし、チェルノブイリ(当時のソ連)では原子炉の制御・停止ができない爆発事故(1986年、レベル7)が起きた。そして今回のレベル7の福島事故である。今後も事故は必ず起こると考えなければならない。

 しかし、事故がすぐに起きない場合でも、使用済み核燃料と高レベル放射性廃棄物が増加しつつあり、間もなく保管量が限度に達し、行き詰まる。

現代の世代が40年程度利用して、何万年という非常に長い寿命の放射性物質をふくむ高レベル放射性廃棄物の安全な管理を10万年以上将来の世代にまかせなければならないという原発のシステムは、バランスが取れていないだけではない。

過去を振り返ってみると、今日のヒト(ホモサピエンス)の最初の先祖がアフリカで誕生したのは20万年前、各地に広がったのが10万年前、農耕牧畜が始まったのは1万2千年前ということを知れば、10万年という長さは、管理可能の限度をはるかに超えていることは明らかだ。

文:『福島 土と生きる』大石芳野写真集より一部抜粋

小沼 通二(こぬま みちじ)

専門は物理学(素粒子理論)。1931年東京生まれ。現在、神奈川歯科大学理事、慶應義塾大学名誉教授など。元日本物理学会会長、元アジア太平洋物理学会連合会長、ノーベル平和賞を受賞したパグウォッシュ会議の元評議員。ハンガリー科学アカデミー名誉会員、素粒子メダル功労賞受賞。J.ロートブラットほか著『核兵器のない世界へ』の共同監訳、近著に『坂田昌一コペンハーゲン日記』(編)ほか。