新家茂夫さんを悼む(市長日記H27.10.2)

更新日:2020年03月24日

昭和59年から平成8年までの12年間、篠山町長を勤められた新家 茂夫さんが、去る9月24日にご逝去されました。満92歳の天寿を全うされました。

私が最も尊敬する政治家です。多くの人から信頼され、誠実、実直、そして信念のある政治家で、私も新家さんのようにありたいと願っています。
先日も、デカンショ祭の報告に行ったばかりで、喜んでいただき、ことあるごとにご指導とそしていつも励ましていただいていたのに、本当に残念でなりません。

新家さんが町長になられてから、財政再建を果たしつつ、「ふるさと日本一、丹波篠山づくり」をスローガンに、まちづくりを進められました。
農業を基幹農業と位置づけ、農地保全や特産振興に取り組まれました。また、今や篠山市のシンボルとなっている市役所庁舎、たんば田園交響ホールを白壁、瓦屋根にしたり、大書院の復元をされ、市民から約3億円の寄付を集めるため、奔走されました。国立篠山病院のあとの兵庫医大病院の誘致、デカンショ祭、味まつりなどによる都市との交流を活発化されたり、最後には庁舎位置や新町名を決めて四町合併の道筋をつけて引退されました。
今、篠山市が魅力あるまちとして脚光を集め、そして日本遺産のまちとなることができたのも、新家さんの功績が大変大きいものと思います。篠山市の誇る城下町のまちなみや農村景観が残されているのも、新家さんをはじめとする、先輩方のおかげです。
後に続く私たちは、新家さんの意思を継ぎ、篠山市の魅力ある発展をなし遂げていきたいと思います。

新家 茂夫さん、本当にありがとうございました。
これからも篠山市をお見守り下さい。

なお、次の言葉は新家さんの町長時代のご講演の要約です。

篠山は交通網の整備は遅れたが、半面、大切な篠山の資源が残された。
それは、(1)みどりなす山々、田園風景、小川の流れ、澄んだ空気など豊かな自然環境、(2)デカンショ節で全国的に名高く、篠山城、八上城、車塚など歴史環境、(3)人情豊かで潤いのある生活環境、(4)栗、松茸、大豆、米など田畑や山からの生産環境である。
これからは交流社会に移行していくと言われるが、篠山には交流産業を生み出せる魅力が沢山ある。
これに教育文化などの生活関連施設や若い人をひきつけるものを整備し、住む人が誇りを持ち、訪れた人が感銘を受けるまちを目指してきた。
篠山らしさを大切にし、丹波の森構想に基づき「日本一のふるさと」となることをめざしている。

沢山のお花に囲まれた祭壇と祭壇の前に座っているお坊さんと立っている親族の方々と椅子に腰かけている参列者の写真