大山荘(おおやまのしょう)(市長日記H27.11.18)

更新日:2020年03月24日

本年9月、京都の東寺に保存されている百合文書(ひゃくごうもんじょ)が、ユネスコの世界記憶遺産に登録されました。
この文書には承久12年(845年)に東寺の荘園になった「大山荘」に関する文書が600点も残されています。
大山荘の歴史が、人類の遺産として永遠に引き継がれることになるのです。

「大山荘」は、現在の大山地区すべてがエリアで、荘園の時代から引き継がれた田や池など田園景観が良好に残り、百合文書に記載された地名や旧跡が何百年の時を超え、良好に受け継がれてきました。
ちなみに大山によくある中沢、長沢の姓は、「地頭(じとう)」(荘園を管理する役人)だったそうです。

11月15日には、荘園文化フォーラムが開催され、大山地区を中心に400名を超える市民が参加され、大山の歴史ロマン、ご先祖様に思いをはせる一日となりました。
池尻神社の人形狂言、追入神社の子ども三番そうが上演され、また天内芋(あもちいも)など、郷土料理も楽しみました。

「一生懸命」という言葉がありますが、この字は本来「一所懸命」と書き、その由来は、中世の荘園領主が自分の領地の荘園を懸命に守ったという意味だそうです。

荘園文化フォーラムパンフレットより

山々が連なっており、麓には田園が広がり、手前には住宅がが広がっている様子の写真の右上に「民部省符の子文書」の写真が貼られているパンフレットの写真
京都の東寺の五重塔が写っている写真と右下に沢山の巻物が四角い箱の中と床に置かれており、木に文字が書かれている額が置かれている写っている写真
黄金色の稲穂が実のる田んぼが広がっており、その奥に1件の民家がある写真
殿垣内の田園風景の写真
「大山庄百姓寺謹言上」の書
烏帽子をかぶって白い狩衣を着ている男性がが赤い大きな和傘をさして、オレンジ色の狩衣をを着た男性と一緒に歩いており、その後ろにも、烏帽子に白い狩衣を着て歩いている男性が写っている写真と左下に神社の鳥居から、日の丸の国旗を持った人と紫の旗を持った人が2列で歩いてくる様子の写真
舞台の上で着物を着た人形を後ろで男性が操って人形狂言をしている様子の写真
黒と白のシマシマに金色の丸印がついて、紫色のハチマキをで締めた烏帽子を被り、青色の狩衣の衣装を着た男の子が金色の扇子を持って腰に手を当てて立っている「追入神社の子ども三番そう」の上演の様子の写真