「ひょうご農林水産ビジョン2025」(市長日記H27.12.15)

更新日:2020年03月24日

兵庫県において、新たな農林水産ビジョンをつくるのに審議会をもうけて検討、協議をされてきました。
私は市長会を代表した、委員の一人です。
今回のビジョンは、競争力のある強い農業をめざし、そのために大規模化や法人化の方向です。
これに対し、私は常に農業、農村社会の大切さと持続、農にかかわる多様な担い手の必要性を訴えてきました。
昨日、この審議会が終了しましたが、一定の配慮をいただきました。
地方は今、社会全体が安全な食を求め、田園回帰の方向にあるなか、農業や自然環境など地域の良さを生かし「地方創生」に取り組もうとしています。
一方、日本の農業は、TPPや国が進めようとする改革など、今後について期待もあれば不安も大きいものです。
こうした時期であるからこそ、兵庫県の農業、農村社会に夢のあるビジョンとして頂くことを期待しています。

以下は私の主張と、参考の資料ですのでご覧ください。

1、私が主張したこと

(1) 農業・農村の価値

 農業は、産業という面に留まらず、私たちの毎日の命を支えるかけがえのない営みで、食糧の確保は国の礎です。
そして、農村は、県土を守り、自然環境や伝統文化を継承し、災害を防止し、また、美しい農村景観は人々の安らぎで、日本のふるさとの姿で、かけがえのない価値があります。今の農業、農村を「小規模かつ高コストの農業が展開されている」とか「近年、農村からの人口流出にともない」などマイナス面ばかりをあげるのではなく、若者の新規就農者も増え、都市部からの若者が「地域おこし協力隊」や「大学との連携」などでも、農村に関心を示すなど、新たな前向きな動きをとりあげてほしい。

(2) 農業の多様な担い手が必要

 大規模化、法人化だけでは、農業、農村は持続しません。農業がいつまでも持続的で、そして農村社会を維持していくためには、農村に多様な農家が存在し、農に関わる人々が暮らしていけるよう配慮することが必要です。

(3) 環境保全型農業を原則とすべき

 安全な農産物、美しい景観や生物多様性、地球温暖化防止などに資する農業と農業基盤づくりを原則とすべきです。

(4) 県民の力で守る視点を

 都市住民が県産品を購入する。あるいは、農村ボランティアに参加するなど、県民すべてで農業、農村を守っていくという視点

2、参考の資料

《全国農業新聞より引用(2015年5月15日)》

羽多 實 氏(農林統計協会参与)

不治の病にかかってしまい遺言として申し上げたいことが三つあります。
 第一は官邸の諸兄姉や経済界、学者、マスコミ、さらに農業関係者までもがわが国農業の主人公である国家が戦後、さまざまに分化していることを軽視してか、平均で論じていることです。

多様に分化する農家。十把一絡げで見てはいけない

わが国の農家は昭和30年代以降の高度成長によって、次の図のように専業として発展していく農家と、農業以外の職業を志向して兼業として続けていく農家とに大きく分化しています。後者は主として稲作をしており、「小規模農」とか「零細農家」などと言われています。統計上は「兼業農家」「自給的農家」「土地持ち非農家」などです。
 統計では一定規模以上を農家と定義し、それ以下で農業をしている家族は農家と定義していませんが、相当数の家族が小規模で農業をしています。兼業農家や小規模高齢農家、それに何らかの形で農にかかわる家族を加えると、数百万家族になります。
 「農業は高齢化が進み平均年齢が66歳で…」「基幹的農業従事者に占める65歳以下は4割もいない」などの主張も農家を平均で見ていて、農家の分化を理解していません。一例ですが、2010年センサスで見ると65歳以下の基幹的農業従事者は「副業的農家」では3.6%しかいませんが、農業を専業とする「主業農家」では70%もいます。職業として農業を選んだ農家は農業を兼業として選んだ農家から農地を借りたり、機械作業の受託などで経営規模を拡大しています。
一部学者や経済界、マスコミは「農地の規模を拡大したり、企業を参入させれば日本農業は大規模経営ができるようになる」と主張しています。大手新聞は昨年9月の社説で「高いコストをかけ、生産性の低い零細農家を保護することは『攻めの農政』に逆行する」などと書いています。
 この主張は農家を平均で見ていないとは言えますが、ただこうした見方だけでは問題があります。次のようにこれら零細農家が農村を維持しているからです。「農家の分化」を正しく理解しないと、日本農業を正しく理解できません。

小規模農家は、農村社会に不可欠。攻めの農政は逆行

 第二は農村についてです。「農業・農村」と言われていますが、「農」は動物、植物、土地、水など自然と人とのかかわりであり、「農業」は「農」を業とし繰り返しまたは職業としてたずさわること、「農村」はこれらの人々が構成している地域社会です。
 「農家」は「農」にかかわる家族と農業を営む家族です。世界の農業の大宗は家族経営です。繰り返しますが、わが国では農業を専業としない農家が相当数おり、かなりの家族が水稲を栽培しています。全国の水稲農家の7割が1ヘクタール未満です。これらの家族が農村社会で水路、道、あぜなどを管理して地域社会を維持しているのです。生産性が低いから「攻めの農政」に逆行するとしてこうした農家を政策の対象としないのは正しくありません。
 経済学者の故・宇沢 弘文氏は「どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活していることが、社会的安定性を維持するために不可欠のものとなっている」と指摘し、同じく川勝 平太氏(現・静岡県知事)は「近代化の終点は都市ではなく田園にある」と述べています。イギリスの田園が美しいのは大英帝国の膨大な富が田園に注ぎ込まれたためです。都市で成功した人々がリタイア後、農村に移り住んで相当の投資をし、カントリーサイドの紳士として悠々自適の生活をすることを誇りにしているようです。
 筆者は英南部の田園に行き、その美しさに感動して18世紀の同国詩人が「神が農村を作り、人が都市を作った」とうたったことを思い出しました。

強大な農業、農村は輸入不可能。美しい農村どう守る

第三は米国、カナダ、豪州、ニュージーランドの強大な農業についてです。これらの農業は、ヨーロッパや日本、アジアなどの農家が産業革命や高度経済成長によって農業に従事せずともよくなった人々からやっと農地を借りるなどして規模拡大ができたのと違い、先住民を追い払い、初めから農業機械などを使って近代的な経営を大規模に創業することができました。要するに農業の生まれが違うわけです。従ってこれらの強大な農業と太刀打ちすることはほとんど困難です。
経済界や一部マスコミは日本経済の外国進出(大企業が中心でしょう)による発展のため、農業分野で大幅な譲歩をしても財政資金を投入すれば大丈夫と考えられておられるようです。
しかし、それで美しいわが国の農村を維持することが可能か。そのような経済を自国の農村に優先することはいかがなものでしょうか。―と心配する昨今です。食料は輸入できますが、農村は輸入できません。
 こうした遺言の機会を頂いたことに心より感謝いたします。

はた・まこと
1934年生まれ。東大法卒。57年農林省入省後、農政部長、衆院農水調査室長などを経て89年退官。株式会社日本ハム常務、顧問など歴任。著書に「日本農業の実際知識」(全国農業会議所)など