合憲?違憲?(市長日記H27.6.12)

更新日:2105年06月12日

集団的自衛権をめぐる法案について、自民党推薦の憲法学者が「違憲」とされたことから、議論が続けられています。

憲法9条を純粋に素直に見た時、どう考えても「合憲」とは言えないと考えます。

この市長日記の約1年前の2014年7月5日付に記載したとおりです。

これを合憲と言う人は、憲法の勉強をしたことがない人か、あるいは憲法学者より自分が偉いと思っている人、あげくは憲法より自分が偉いと思っている人ではないかと思います。

特に政府与党を代表する人には、その偉い人がおられるのではないかと心配です。

解釈を変えるなら、是非、国民的議論を尽くし、正々堂々と憲法改正の手続きをとるべきだと思います。

2014年7月5日の市長日記です。

集団的自衛権

かつて、私が勉強した「憲法」の教科書(法律学全集、憲法I、清宮四郎)には、次のとおり書かれています。

即ち 「日本国憲法が採用した平和主義は、世界史的に重大な意義をもった、きわめて特色あるものである。

 第9条には第1項で、日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に、これを放棄するといい、更に第2項で、前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めないと言っている。

これは世界に比類のない徹底した平和主義を宣言するものである。

憲法前文には、日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した、とある。

 このような自覚と念願に基づき、みずからさきがけて非常な決意のもとに、あらゆる戦争を放棄し、いっさいの戦力を保持しないことにした。その結果、自国の安全と生存を諸外国民の公正と信義にゆだねることになるが、それは覚悟のうえである、というのである。

 なお、自国の安全と生存の保持について、みずからは何もせず、すべて他国の力をまつというような虫のいい考え方ではなく、平和愛好国民と協力しながら、平和の実現のためにあらゆる努力をするという旨を表明するものである。

 平和のためにまい進するという固い決意、悲壮な決意が述べられ、たとえ自衛のためにせよ軍隊を設けたり、戦争をしたりとする例外を認めるような語調はまったくうかがえない。」

 そして、更に

 「自衛権を、国権が自国に対する急迫、不正の侵害を受けた場合に、自国を防衛する権利と解すれば、それは国家の生存上当然の権利であって、国家の基本的権利の1つとして認められているものであり、第9条がこの自衛権までも否定しているとは解せられない。

 しかし第9条は自衛権にもとづくものであっても、戦争や武力の行使はこれを放棄するといい、戦力は保持しないといっているのである。そうしてこのようにしても、否、このようにしてこそ、日本の安全と生存が保持できるとしているのである」
というものです。

 この考え方は、憲法学上、きわめて一般的な考え方で、通説と言われます。

この憲法の定める永久平和の原則からすると、今回の集団的自衛権などというものは、到底、解釈で導き出せるものではありません。

新聞では、多くの日本人が求め続けてきた「戦争をしない国、日本」への期待と信頼を裏切るものと書かれていましたが、その通りだと思われます。

 国民的な議論を尽くさず、正式な憲法改正の手続も行わず、安易な憲法解釈変更をされるのであれば、もう政治は国民に信用されません。