丹南校みんなの心にいつまでも(市長日記H28.2.29)

更新日:2020年03月24日

平成28年2月27日、篠山産業高校丹南校が閉校となり、66年の輝かしい歴史の幕を閉じました。

丹南校は、旧古市村の方々の願いを実現する形で、昭和25年4月県立篠山農業高等学校古市分校(定時制課程)として開校し、地域の農業後継者を育成することを目的に、地域と学校が一体となって手作りの学校を作り上げていきました。
その後、昭和31年に県立篠山農業高等学校丹南分校、昭和38年に県立篠山産業高等学校丹南分校と改称され、そして、地域の強い要望を受けて昭和44年全日制課程に移行するとともに今田分校を統合しました。昭和50年にはその時代の要請から農業科から普通科に改編され、昭和62年に南矢代に移転し、平成13年県立篠山産業高等学校丹南校と改称して、今日に至っています。
県下全日制高校の最後の分校として、前身の農業科の自然と共生するという環境教育を基盤に、一人一人の生徒を大切にし、地域に根ざした教育活動を展開されました。

これまでに2,100人以上の卒業生を輩出し、多くが篠山市を中心に活躍され、まさに「地域に根ざし、信頼され、地域を支える」高校でした。
特に篠山市の誇る「農業」と「自然環境」に大きな役割を果たされたと思います。
田植え、稲刈り、酒づくりの実習を通し、篠山の熱心な農家を育み、今や全国にとどろく丹波篠山ブランドを生み出す原動力となりました。
また、武庫川のホタルや貴重種の保護活動に長い間取り組み、いろんなところで発表もされました。その成果で県の河川改修の方法が定まったり、篠山市においてもホタルの時期の草刈りは避けるようにとの生徒の発表を受け、クリーン作戦を6月から7月に変更しました。
最近では「里山」に取り組まれました。
篠山市が日本遺産のまちとなったり、ユネスコ創造都市に加盟できたのも、丹南校のこのような農と自然を大切にした営みからです。
また、JR南矢代駅の清掃を長い間続けられたり、鍔市ダムの清掃、武庫川の環境保全、古市小学校との交流、地域の方への公開講座、丹波茶まつりなど、地域に根ざして活動を続けられたのです。

今回の閉校は社会全体の生徒数の減少から、残念ながら、万止むを得ないものと思いますが、丹南校の「農」「自然環境」「地域に根ざす教育」を是非、これからは篠山東雲高校や篠山産業高校に引き継いでいただくよう心から願っています。
卒業生、先生方をはじめ、関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
特に最後の卒業生29人は「丹南校みんなの心にいつまでも」のスローガンのもと、最後まで丹南校を盛り上げて、良く頑張りました。

篠山産業高校丹南校閉校式の様子を体育館の入り口から写した写真
ステージ上の演台前に立ち、話をしている大前さんとその後方には関係者の方々が椅子に座っている写真

同窓会長の大前さん

緑色の草や、赤、白、ピンク、紫色の花を使い感謝の文字が書かれた看板が置いてある写真
篠山産業高等学校丹南校の校舎の外観写真
グラウンドを金網の後ろから見た写真
畑が広がり、道の脇には木々が植えられている風景を校舎から写した写真
紅白の幕が張られ、長机には白い布が被せられ、その上に文字が書かれた石碑が置いてある写真
前方に教卓やストーブが置かれ、後ろには黒板があり、その上の壁には謙虚、朗らか、素直、集中、しつけ、整頓と書かれた紙が貼ってある教室内の写真
和太鼓の演奏が披露されているステージを椅子に座った在校生が見ている写真
ステージ上とステージに設置された和太鼓を叩いている方々の写真