88歳の武者小路公秀さん(市長日記H29.2.27)

更新日:2020年03月24日

 今田町出身の下中 弥三郎さんが初代メンバーであった、世界平和アピール7人委員会の講演会がありました。
 ご講演いただいたのは国際政治学者の武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで)さん。名前を聞いただけでも尊い、お公家さんのような響きです。
 一緒にパネラーとして登壇することとなりましたので、こんな先生とどんな話をすれば良いのかと思案していました。
 綾小路 きみまろさんではないのです。

 公秀さんは、今年88歳、ハンサムで、聞けばフランスとカナダの血が入っているそうです。

 さて、テーマは「下中 弥三郎の思想を生かす世直し」でした。

 私たちは下中 弥三郎さんが平凡社を創立して日本ではじめて百科事典を作った偉人であることは知っていますが、時代をリードする思想家であったとはあまり知りませんでした。

 弥三郎さんは、日本ではじめて教員組合を設立し、第一回メーデーに参加するという社会主義的思想、農村にこそ人が幸せに生きる場所であるという農本主義の思想、戦時中は天皇こそ無私、公正で天皇のもと白人帝国主義からアジアを守り、皇国日本が世界をおさめるために戦うのだというアジア主義の思想、戦後は世界の人類みな兄弟、心ひとつに武力を捨て、平和をめざすという世界連邦の思想と、その時々、変遷したとも言われます。

 私は、篠山で育った環境が、弥三郎さんの思想の礎を築いていると思えます。
 弥三郎さんは今田町下立杭で生まれ育ちました。家が貧しく、農業に丹波焼に精を出しながら、近所に住む医師の中井先生や大西 寛之助さんに勉強を教わり、学校の先生になりました。
 24歳で東京に出た弥三郎さんですが、若い頃、村みんなで助け合い農業や窯業に生きた暮らしぶりのなかから、「農村への思い」「純粋な気持ち」「人とのつながり」などが思想を形づくっていると思われるのです。

 農村ユートピアの考えは、今に通じます。
 「都会は人類の墓場だ。都市生活は外観の生活に終始し、人々が疎外しあって生きている。農村では人々は利益を求めず、互いに支え合いながら生活する。朝には露を踏んで田に出で、夕には星をいただいて家に帰る、米、麦、茄子、大根を作り農閑期には紡いで衣服を織る。そして余力有れば歌い、踊り、酒を飲み、而して神仏を祭る。かかる農村の生活と今日の小学校で子供等が営々として学ぶ教育とは殆んど何も関るところがない。」

 また、弥三郎さんは自分の富のためや利益のための政党政治、議会政治を批判し、「純粋政治」は天皇政治をおいて他にありえない、天皇は常に公正で私心など存在しない、大御心は常に純粋で透き通っている、皇国日本は白人帝国主義に悩みぬいたアジア諸国諸民族を解放して、世界を統一する使命があるとしたのです。
 戦後公職追放となりましたが、戦争を経て、人類の破壊につながる第三次世界大戦を何とかして避けなければならないという思いをいだきました。
 そのため「戦争の恐怖をのぞき、平和主義を導くには武器を捨てるにかぎる、捨てられないばかりかますます競いたっている。何という馬鹿げたことか、一番強いのはまるごしだ。」と説きました。

広いホールの公演会場で関係者の男性、武者小路さん、小沼さん、関係者の男性、市長との記念写真

 左から2番目が武者小路公秀さん、3番目が小沼さん