再燃!市名「丹波篠山市」へ(市長日記H29.5.12)

更新日:2020年03月24日

 市名「丹波篠山市」が再燃しています。

 平成23年にこの問題が議論された時は、市議会でも市民の間でも賛否が分かれ、そこで篠山市において各種団体や市民からなる「市名検討委員会」をもうけて議論しましたが、検討委員会では、「市の最優先課題である財政再建の見通しが立ってから行うべき、丹波篠山ブランド、篠山市の知名度の向上を進めていく」とされていました。
 なお、篠山市では平成25年に住民投票条例を制定していますが、この当時はありませんでした。

 それが、本年になって、商工会、観光協会、農協、丹波ささやま栗振興会から、市名変更を検討すべきという要望書が出され、さらに商店街連合会、丹波焼の陶磁器協同組合からも提出されると聞いています。また、篠山市選出の小西県会議員も一日も早く変更を、と述べられています。

 この背景は、丹波市が誕生して10年以上が経ち、「丹波」という呼称が何を指すのか混乱、誤解がいよいよ激しくなり、「丹波篠山」についても、丹波市と篠山市を合わせたものとの誤解が広がっているからです。
 私も調べれば調べるほど、市制20年を機に、長年築かれた私たちの丹波篠山ブランドを市名にして、さらに良いまちづくりに進むべきとの意を強くしています。

 丹波市が誕生したのが平成16年、当時、篠山市の多くの市民、団体から、「氷上郡のみが広域の共有名である丹波を名乗られることによる混乱が避けられないなど」として、再考を求めましたが、当時の瀬戸篠山市長は、「(氷上郡が丹波市を名乗ることについて)その是非を判断する立場にない」とされたことから、篠山市が一定の理解をしているととらえられてしまい、再考されませんでした。
 私も当時、篠山市選出の県会議員として、当時の氷上郡合併協議会に再考の申し入れをしましたが、「内政干渉だ」という書面が届きました。直ちに「篠山市民の声を届けることのどこが内政干渉なのか」と反論したら、その後は何もありませんでした。
 もう亡くなられましたが、当時の氷上町長の十倉さんだけは、篠山市民に申し訳ない、というお手紙をいただいたことを覚えています。

 それから10年以上、丹波市はみずからを、丹波、丹波と呼んで丹波をPRされ、最近では、「丹波市には3つの宝がある、丹波栗、丹波黒大豆、丹波大納言小豆、これを丹波三宝と名付ける」とされているほどです。
 観光客が、丹波市を丹波篠山と間違えて訪問されたり、篠山市の特産を丹波市産と間違えられたり、ふるさと納税先を間違えられたり、テレビ番組などで、丹波篠山として丹波市を紹介したり、丹波と名のつくものはみんな丹波市のものと誤解されてきています。丹波栗でさえ、丹波市の栗と思われてきているのです。先日、日本遺産になった「丹波焼」は、誰が見ても丹波市と結びついてしまします。
 さらにネットの社会では、もっと深刻だと言われ、「丹波」を検索すれば当たり前かもしれませんが、みんな丹波市が出てきてしまいます。
 もはやこれを正す手立ては見つかりません。

 さらに心配されるのは、丹波篠山が「丹波・篠山」としてNHKの天気予報や、雑誌などで紹介されていることから、何を指すのかが極めてあいまいになってきていることです。
 今年になって経験した事でも、篠山産高生が学習発表会で「丹波篠山の人が山の芋チョコレートを沢山買ってくれた」と表現しましたが、それは丹波市と篠山市のことでした。
 県民局のビジョン委員会が冊子をつくり「丹波篠山地区」と表示されていましたが、それは丹波市と篠山市のことでした。

 そして次の表を見てください。
 これを見て私はびっくりしました。「丹波篠山」は知られていても、「篠山市」の認知度は低く、「篠山市」だけでは戦えないのです。

地域ブランド調査詳細表

私も市長として、市外に出た時に実感するのは、「兵庫県篠山市です」と言ってもほとんど分かってもらえず、「丹波篠山」と言えば、黒豆やデカンショで多くの人に知っていただいており、グンと反応が良くなります。
篠山市の知名度は3割、丹波篠山の知名度は7割以上と言われます。
篠山市はこのところ、日本遺産、ユネスコ創造都市、全国景観モデル刷新都市となるなど、大きく飛躍しようとしています。
市民一人ひとりが未来のまちを託す市名について、今度こそ心をひとつに、とりまとめられるよう、取り組んでいきます。

兵庫県の地域名がが書かれている地図

NHK18時台天気予報(イメージ図)。 「丹波・篠山」と表示し、これを丹波篠山とアナウンスされている。

市長と丹波ささやま栗振興会の方が要望書を持って映っている写真

丹波ささやま栗振興会からの要望