恵那市の光秀産湯の井戸、歴史的まちなみ、日本一の農村景観(市長日記R1.12.5)

更新日:2020年03月24日

11月23日に明智光秀の母、お牧さんの供養祭に訪れた岐阜県恵那市は、明智光秀の生誕地といわれています。
明智町の日本大正村の小高いところに明知城があります。この地の伝承によると明智光秀はここで生まれ、産湯として使ったとされる井戸が今も残されていました。

明智光秀産湯の井戸とその井戸の前に置かれている説明文の看板、その横に青色の土岐明智城と書かれた旗がたてられている写真

▲明智光秀産湯の井戸

日本大正村ボランティアガイド梅村さんが絵と景色を照らし合わせながら酒井市長へ詳しくご案内している写真

▲日本大正村ボランティアガイド梅村さんに詳しくご案内していただきました

明智光秀は明智遠山氏、土岐明智氏の由緒ある家系であり、後の江戸北町奉行の遠山金四郎とも同家系ということを知りました。先日、丹波篠山市で開催された歴史作家桐野作人生生の講演会でのお話でもあったように、光秀は貧乏な田舎侍という説もありますが、実は家柄も高貴であったたからこそ、織田信長の信頼を得て出世し、ナンバー2の地位に登りつめたといわれます。
また、光秀と織田信長の妻(濃姫)は従兄妹にあたり、昔からの恋仲の説? があった云われもあるようです。来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」ではどのようなストーリーになるかが楽しみです。

手前に赤く色づいた大きな紅葉の木と、写真奥にしめ縄が飾られた神社の写真
紅葉と大きな楓の木の前で書類をもちながら説明を受ける酒井市長と数人のスーツ姿の男性

▲明智光秀公手植えの楓

「岩村」の城下町は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)のまちでもありました。観光客は年間400万人と聞きました。泊まったのは市役所近くのルートインホテルでしたが、普通の7階建てのホテルでした。


岩村本通りは平成10年4月に商家の町並みとして、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。岩村は江戸時代に東濃地方で栄えた城下町です。商家町として範囲も広く特色ある歴史的景観でした。明智鉄道岩村を下りて、すぐ全長1.3kmにもなる古い町並みです。さらにその奥には、日本三代山城に選ばれた岩村城跡がありました。また、現在も保存地区内では地元の商店街として商いが営まれており、この地には当時、長崎に伝わったカステラの製造技術を習得した商家出身者がいたこともあり、今でも当時の製造方法のままで同じ味で製造販売していたお店がありました。さらに、この地はNHK朝ドラ「半分、青い。」のロケ地にもなったことがあり、生活感のあるレトロな街並みとして知られ、放映中は観光客が4倍に増えたようです。

まっすぐな通りのそばに伝統的な建築物が立ち並んでいる様子の写真
通りに立ち並ぶ伝統的な建築群と通りを歩く人々と、建物前に止められたレトロな車の写真

▲重要伝統的建造物群保存地区の岩村城下町

明智鉄道岩村駅の駅舎とその前にテントを広げて人々が集まっている様子の写真

▲明智鉄道 岩村駅

伝統的な建物の軒先でのれんをだし、商品やガラス戸内に展示された商品の写真

▲城下町のお店

紅葉や木々が植わり、六段積み重なる城跡をしたから眺めている写真
岩村城跡上部で木々の間からこぼれる光と植わる木々を撮影した写真

▲日本三大山城の岩村城跡

1.3kmに及ぶまちなみはさすがだなと感じました。


また、岩村には「農村景観日本一」と言われるところがありました。この称号は平成元年、全国の環境問題を専門に研究していた京都教育大学・木村教授が提唱され、マスコミが一斉に報道し有名になったようです。傾斜した穏やかな岩村盆地の中に、昔を思わせる瓦と白壁、農家が点在する農村景観は美しいものでした。盆地を形成する緑と山々が二重・三重に連なり、景観をみていると丹波篠山の風景にも似ていました。

高さがある建物が少なく田園風景とその背後の山並みが一望できる岩村盆地の写真

▲農村景観日本一の展望からの景色

額縁にはいった、農村景観日本一の地と書かれた説明文の写真

▲農村景観日本一の説明文