「言うべきときに言うべきことを」世界平和アピール7人委員会(市長日記R1.9.27)

更新日:2020年03月24日

世界平和アピール7人委員会は、各分野の日本の第一人者7人が、不偏不党の立場で平和、核兵器の廃絶、持続可能なエネルギーなどをテーマに、アピールを発表、世界に向けて訴えを続けておられます。
「言うべきときに言うべきことを」正々堂々とアピールされるのです。
昨年6月には、国政の私物化などを理由に、安倍内閣の退陣を求めるという強烈な面もあります。
現在は、小沼通二先生(物理学者)、武者小路公秀先生(国際政治学者)、大石芳野先生(写真家)、池内了先生(物理学者)、池辺晋一郎先生(作曲家)、高村薫先生(作家)(高は正しくは口ではなく「はしご」)、島薗進先生(宗教学者)の7人の委員が活動を行っておられます。
この7人委員会がなぜ、丹波篠山市と関係があるかというと、昭和30年の発足当時の委員の1人下中弥三郎が、今田町立杭の出身であったからです。
下中弥三郎は苦労して教師に、そして上京して日本で初めての百科事典を刊行した平凡社を設立しました。
9月25日、7人委員会の小沼通二先生、島薗進先生をお招きし、講演会を開催しました。
島薗先生は、初めて丹波篠山市にお越しいただいたもので、宗教学者です。
お昼を一緒にさせて頂きましたが、私の髪形を宗教学からみてか?ほめてもらいました。
島薗先生のお話は、「戦争の記憶と悲しむ力の回復」と題してのものなどでした。
戦艦大和の天一号作戦は、沖縄に向かい座礁、アメリカ軍の上陸を邪魔して、兵士は陸上戦をするという、数千人の特攻作戦でした。
士官の間で激しい論戦が続き、必敗論が圧倒的で「国のために散る、それはわかるがそれだけじゃ嫌だ、それが何につながるのか」「負けて目覚めるのが最上の道だ。今覚めずしていつ救われるのか、俺たちはその先導になるのだ、日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか」
乗組員3332人のうち生き残った者276人。
生き残った吉田満は、次に人間魚雷を志願、だが命令は下りず村に帰還。
その体験を記することは同胞への義務であると告げられる。
…などでした。

島薗先生がマイクを持ち話されている写真

▲島薗先生

島薗先生がスクリーンの前でマイクを持ち話されている写真

小沼先生が椅子に座り放されていて同時に手話の方が後方で通訳されている様子の写真

▲小沼先生

スクリーンの前で小沼先生と島薗先生が椅子に座りながら対談されていて同時に手話通訳されている様子の写真

マイクを持ち笑顔で話す市長と手話通訳の方が立っている写真

▲髪形をほめてもらいました