河合雅雄先生ご逝去―生きとし生けるものの幸せを(市長日記R3.5.17)

更新日:2021年05月17日

令和3年5月17日

5月14日、丹波篠山市名誉市民 河合雅雄先生がご逝去されました。

テレビや新聞で大きく報じられたとおりです。

生きとし生けるものの幸せを願ってご活躍をいただいてきました。

昨日のご葬儀は家族葬で執り行われましたが、市民を代表して出席させていただきました。

新型コロナウイルス感染症の被害が落ち着いたら、市民とのお別れ会を実施したいと考えています。

 

 

【市長 お悔やみのことば】

河合雅雄先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます。

ここに市民あげて河合雅雄先生に心からの尊敬と感謝の意を表するものです。

 

河合雅雄先生は世界の霊長類学の第一人者として日本モンキーセンター設立 アフリカでの20回にも及ぶ調査研究、国際学術雑誌の編集長、初代の日本霊長類学会会長など50年にわたり活躍され、「世界のサル博士」と呼ばれて世界中から尊敬され、霊長類学者として先駆的な役割を果たされました。

 

また、生まれ故郷丹波篠山の美しい自然や文化、生き物をこよなく愛され、これらを大切にするまちづくりに大きなご指導をいただきました。

 

兵庫県立人と自然の博物館館長、丹波の森公苑長を務められ、平成14年に丹波篠山市にお帰りをいただいてからは名誉市民となっていただき、市展審査委員長、さらには築城400年祭実行委員会名誉会長、日本遺産、ユネスコ創造都市の顧問など丹波篠山市のまちづくりをリードしていただきました。

 

河合雅雄先生の愛された歌は、「ぼくらはみんな生きている」で始まる「手のひらを太陽に」だとお聞きしています。人間も色んな生きものも強い者も弱い者も みんなが生きる楽園だと思います。そのような先生の考え方は、人と自然と文化が共生する兵庫県の丹波の森構想となり、丹波篠山市のふるさとの森や川づくり、野生動物との共生を図る獣害対策、日本遺産のまちづくりに息づいています。

機会あるごとに市民に向けお話をしていただき、時にはユーモアを交えての楽しいお話は今も市民の心に刻まれています。

 

河合雅雄先生の幼少期が描かれた映画「森の学校」は各地で大きな感動と反響を呼んでいます。

そして、今や世界中が持続可能な社会をめざし、自然や環境、生物多様性を大切にしようという動きがあるなか、河合雅雄先生の残されたご功績やご指導が益々大切になり先生の理想とされる世界に向かうことと信じています。

 

ここに、丹波篠山市民あげて河合雅雄先生の長年の大きなご功績とご活躍に心からの敬意を表し、その誰からも愛された誠実で温かいお人柄を偲び心からご冥福をお祈りいたします。

 

令和3年5月16日

丹波篠山市長 酒井隆明