梶原清さんを偲ぶ(市長日記H23.3.24)

更新日:2020年03月24日

2012年3月24日(土曜日) 天気 : くもり 

篠山町出身で、参議院議員を務められた梶原 清さん(梶原 康弘衆議院議員の父)を偲ぶ会が開かれた。
梶原さんは、大正10年生まれ、15才で国鉄の車掌や貨物係として働きながら、苦労して勉強し京都大学法学部に進学、昭和25年当時の運輸省に入省し、輸送秩序の確立や全国の空港整備に関わり、昭和54年自動車局長を最後に退官された。
そして、政治の道を志し昭和55年参議院議員に当選され2期活躍された。
特にJR福知山線の複線電化に大きな活躍をされ、これを実現して頂いた。歴史に残る偉業であり、市民あげて感謝申しあげたい。
 又、私は市長になる以前に、先生からお手紙をいただいたこともあり、平成16年の多紀郷友誌の「篠山の未来のために」と題された文章は今も篠山市の羅針盤となっている。
 ひとつは、当時、篠山市の財政事情について心を痛まれ、市民に分かりやすく、的確に説明する必要があると指摘された。
ふたつは、当時の市の人口6万人構想について、人口を増やすことだけによって、篠山の発展を図るという考え方は間違っていると確信しているとされ、阪神地域との交流を活性化すること、篠山の出身者が親元に戻って福知山線で通勤してもらうことが篠山市の発展にとって望ましいとされた。
 それは、税の増収よりも行政経費が高くなったり、新旧住民のトラブルでコミュニティが壊れたり、自然や景観が失われている他市町の例をあげながら、篠山のまちの良さや雰囲気を大切にすること、広告看板の規制、農業の振興、城下町の無電柱化、篠山口駅周辺の再開発、古民家再生、小型コミュニティバスの運行など、多くの具体的な指摘もされた。
 これからも、先生のふるさと篠山を思う気持ちをしっかりと胸にきざみ取り組みたい。

舞台の上に笑顔で写っている梶原 清さんの遺影と白色の花が置かれ、ステージ下の椅子には沢山の参加者が座っており、1人の男性がマイクを持ちながら立ち、話をしている写真
ステージ上に献花台が準備され、参加者が白色のカーネーションやユリの花を置き、手を合わせている写真
参加者がステージ上の梶原 清さんの遺影を前にピアノ伴奏と指揮者に合わせて歌を歌っている写真