歯のはなしvol.57 入れ歯の歴史3

更新日:2020年03月24日

 前回、日本の口中医の技術がすぐれていると書きましたが口中医は、口の中のむし歯を治したり、歯槽膿漏の膿だしをしたりしたのが仕事で、入れ歯は入れ歯師という職人が作っていたようです。その技術は現代にも通じる精密さで、蜜蝋などで、型をとり、柘植などの木を食紅などで、当たりの微調節をしながら、その人に合うように作っていったようです。また、抜歯専門の歯抜き屋のような人もいたようです。必殺仕事人で、歯抜き屋の京介とか出てきそうな感じですよね。

 このように日本では木の入れ歯が発達しましたが西洋では金属と死人の歯で作った入れ歯から始まり、陶器の歯に進歩し、ウエッジウッドの歯などもできたようですが、バネで上下の歯を蝶番でつなぎ、重さもかなり重かったため、実用的ではありませんでした。

 1851年になり、タイヤメーカーのグッドイヤーが、硫化ゴムによるゴム入れ歯を初めて考案しました。これに20年遅れ、日本にもアメリカ人歯科医師によりゴム入れ歯が輸入され、しだいに木の入れ歯は姿を消していきました。明治時代のことです。

 さらに1900年代に入り技術の進歩で、プラスチックによるアクリル入れ歯が誕生して現在に至っています。

 今、インプラントという新しい技術がありますが、患者の骨量の問題、持病の問題、経済的な問題、安全性の問題があるため入れ歯はこれからも必要であり続けると思います。むしろ、より需要が増す可能性もあります。

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