歯のはなしvol.53 お歯黒の歴史

更新日:2020年03月24日

 お歯黒の歴史は古く、奈良時代から見受けられます。平安時代の貴族は、成人の証として、男女ともつけていました。江戸時代に入ると庶民にも浸透し主に女性がつけるようになり、男性のお歯黒は姿を消しました。お歯黒は、朝鮮半島から北方民族を介して伝わったとされていますが、生活の知恵として、むし歯知らずで、歯周病にもなりにくかったようです。

 お歯黒の材質は、タンニンを含む五倍子(ふし)粉と鉄漿水という酢酸に鉄を溶かした悪臭のする液体です。五倍子とは、ヌルデの若葉にアブラ虫の一種が寄生し、その刺激により生じた瘤状、紡錘形のもので、内部は空洞、皮壁は褐色の絨毛を被ったものです。タンニンが、歯や歯肉のたんぱく質を凝固させて細菌の侵入を防ぎ、第一鉄イオンが、歯の表面エナメル質の主成分であるハイドロキシアパタイトを強化して、耐酸性を向上させます。一説では、魏志倭人伝に東方に歯黒国ありと言い伝えられていたとも言われ、かなり昔から、日本人の歯をお歯黒が守っていたようです。お歯黒全盛の時代には、歯を黒く塗ったお歯黒入れ歯も作られていたそうです。

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