篠山の方言アラカルトーあんじょうでけたかはんじゃ

更新日:2021年10月11日


信がないときや疑いを持つ場合、またある人の行動が心配なときに言葉の締めくくりに「~かはんじゃ」を使用します。
「さんなんゆうたかはんじゃ(そんなこと言った覚えはないが)」、「あんじょうでけたかはんじゃ(うまくできたかどうか心配だ)」、「こんなんでけっかはんじゃ(こんな難しいこと私にできるかどうか)」等々、いろんな所で使われています。
とはいっても年配の人の方が使われているだけで、若い人達にはどうも使いにくい言葉であるようです。
使うとすればよく似た意味の言葉で「~こう」と「~け」があります。
「そんなんゆうたこう」「そんなんゆうたけ」のようになります。
この言葉、我数多くある方言の中でも特に普段着の言葉であるように感じるのは私だけかも知れませんが、農家の出身でもないのに、稲刈りのお昼に茶瓶の蓋でうまくお茶が飲めなかった自分が思いだされ、ゆっくりと回っていたあのころの時間がたまらなく懐かしくなります。
孫を前に「うまいこと焼けたかはんじゃ」と焼き芋を半分に割ってくれたおばあちゃんや、「さぁ、ちゃんと飛ぶかはんじゃ」と手作りの竹トンボを飛ばしてくれたおじいちゃん。また近所の「おいちゃん」は子どもの草野球に飛び入り参加して「せんどやってへんさかい、打てっかはんじゃ」とホームラン。もうそんなよき時代はやってこないかも知れませんが、言葉や文化、我々がただ単に田舎くさいとかそんな理由で捨ててきてしまったことを悔やむ間もなく、時間に追われている私たちにできるのは「ふるさと体験~」とか「家族ふれあい~」とかだけなのでしょうか。
運動不足だといって車で何キロも離れたスポーツセンターへ出向き、流行のウェアでジョギングする姿にもどこか似ているようで。