09 鹿物語 住山

更新日:2020年06月25日

其の9●鹿物語 ■住山

住山(すみやま)の八幡(はちまん)さまの片隅(かたすみ)に、やさしいお顔の子安地蔵(こやすじぞう)さまがお立ちになっとってんや。このお地蔵さんはな、もともとは母鹿(ははじか)の供養(くよう)と、子鹿(こじか)の成長を願うて建てられたそうや。
それにはな、こんなおはなしがあるんや。 もう3百年ほど昔のこと、丹波の国、住山の郷(ごう)、白髪岳(しらがたけ)の麓(ふもと)の、鰐谷(わんだに)に与作という人が一人で暮らしとったんやて。
家はちいそうて、屋根は杉皮(すぎかわ)で葺(ふ)いてあったそうや。与作は、畑を耕したり、時々狩りをして暮らしとったったそうや。
そんなある日、梅雨(つゆ)もようよう明けようかとする頃のことや。与作は誰に言うでもなしに、「あぁー、今日はほんまによう晴れて、気持ちがよい日和(ひより)やなー。久しぶりに狩りにでも出よかいな。」と言って、鉄砲を持って、山刀(やまがたな)を腰紐(こしひも)にはさみこんで、山道を楽々と登り始めたんや。
一寸行きよったら、鰐谷(わんだに)川の川向こうの岩間(いわま)で、山茶(やまちゃ)のかげにちらちらと見えるものがある。よう見たら、2頭の鹿のようや。仲良うに木の芽食べているとこ見たら夫婦の鹿らしいのや。
「あーっ、しめたっ」小さな声でつぶやき、与作は慣れた手つきで鉄砲を構えたんやて。
鹿にとっては一大事なんやけど、鹿は一寸も気が付かへん。与作は狙いを定めて、「ドスーン」銃声(じゅうせい)は谷間(たにま)にひびき渡ったそうや。
この弾(たま)は、かわいそうに雌鹿(めじか)に命中したんや。雌鹿は、苦しいて苦しいてのたうちまわって、胸からは血が滴(したた)り落ちとったそうや。けど、そのうちにだ
んだんよう動かんようになってしもたんやけど、死ぬ前のものすごい苦しみの中から、最後の力をふりしぼって、悲しそうに一声(ひとこえ)鳴いたそうや。
その時や、雌鹿の体の中から1頭の子鹿が生まれたんや。母鹿は、生まれた自分の子鹿を見守りながら、これから先を心配しつつ息を引き取ったそうや。
雄鹿は励ますために一声強うに鳴いたけど、雌鹿には、その声を聞きとる力はもうなかったんやて・・・。
与作は、この様子を物陰(ものかげ)で見とったんやけど、申し訳のうて、せつのうて、3匹の鹿に近づこうとしたんやけど雄鹿は跳びつかんばかりに、与作を近づけへんのや・・・。
与作は膝(ひざ)をついて、両手を合わせて、「あぁー、かわいそうに、むごいことをしてしもた・・・。すまん、すまん、ごめんしてや。せめてものおわびに母鹿を弔(とむら)わせてもらうさかい。」 そう言うて窪(くぼ)みに穴を掘って、お墓をつくって弔いをしたそうや。そいで、「わしはもう鉄砲は持たへん。猟師はやめた。母鹿殿、この子鹿はどんなことしても、大事に育てるさかい成仏(じょうぶつ)してや。父鹿殿、一寸の間預かっていくけど、心配せんといてや。おおきゅうなったらここへ返すさかいなぁー。」と与作は子鹿を小脇(こわき)にかかえて家に戻ったんやて。
与作は、自分が犯(おか)した殺生(せっしょう)を悔(く)やんで、撃ち倒した母鹿を供養(くよう)し、子鹿の成長を願うて、一心に、真心をこめて、石の子安地蔵(こやすじぞう)
さまを彫(ほ)り、鹿の墓場にお祀(まつ)りしたんやて。
つれ帰った子鹿には、木の芽を砕いて食べさしたりして大事に育てた。そのかいがあって、日ごとに大きく、成長していったそうや。
子鹿は、立派に育ったさかい、父鹿のもとに帰してやったんや。3カ月ほど経(た)ったある日、お地蔵さまの前に元気な子鹿をつれた雄鹿がいたそうや。亡くなった母鹿にいろいろと話したり、報告しとったんかもしれへんな。
そんな様子を、涙を流しながら見守る与作の姿があったんやけど誰も気が付かんかった。
たぶん、子安地蔵さまだけはご存じやったと思うけど・・・。
与作がつくったこの子安地蔵をお祀りしたと言われる所を、今も地蔵谷(じぞうだに)と呼んでいます。また、この子安地蔵は、後(のち)に住山(すみやま)の八幡神社(はちまんじんじゃ)に移されたとも言われています。