21 追っ手の神と鐘ヶ坂 大山宮

更新日:2020年06月25日

其の二十一●追っ手の神と鐘ヶ坂 ■大山宮

むかし、むかしのことです。
大山の地に鐘を盗んで逃げる神と、鐘を盗まれて取り返そうとする神がありました。
鐘を取り返そうと追いかけた神が、村のはずれまでやって来た時、日が暮れかけ、ついにはあたり一面真っ暗になってしまったので追いかけるのを止め、その場で座り込んでしまいました。すると、だんだん眠くなり、うとうととして、ついに眠り込んでしまいました。
ふと鳥の鳴き声に驚いて、目を覚ますと、もうすっかり夜が明けていました。鐘を取り返そうと追う神は、追うことをあきらめ、大山の地(久保谷)に長くとどまることになりました。その地が今の追手神社であると言われています。
一方、鐘を盗んで逃げた神は、山を越え、坂を下って逃げました。逃げきったところが丁度坂の途中で、追う神と同じように、日がすっかり暮れましたので、
「ここで一休みしよう。」
と鐘をそばに置いてぐっすり眠りについたのです。
やがて、東の山に大きな月が出たので、
「あっ、出た出た大きなつきが。」
っと言って、喜びながら東の空を見上げたとき、折り悪しくも、近くにあった椎の木の実が一つ落ち、神の目に当たりました。痛くて痛くて目を開けることができません。神は仕方なくこの坂に鐘を置いたまま逃げました。
坂に金を置いたまま逃げたところから「鐘ヶ坂」と言うようになったとも伝えられています。また鐘を持って越えた山を「金山」と呼ぶようになったということです。
鐘を置いて逃げた神は、氷上郡の小倉に下り、「鐘の宮」になられましたが、今は、「刈野神社」と呼ばれて、お祀りされています。
鐘の奪い合いがあってから追手神社の村では鶏を飼ってはいけないといわれ、刈野神社のある村では、鶏を食べてはいけないと言い伝えられてきました。
実が落ちた椎の木は、それからずっと、実が一つも実らなかったということです。