25 丹波の人取川 東吹・北

更新日:2020年06月25日

其の二十五●丹波の人取川 ■東吹・北

むかし、篠山川には橋もなく、水が浅いので舟を渡すこともできず、少し長雨が続いて
水が出るとでき死する者がふしぎに多いので「丹波の人取川」といって、旅人や土地の
人々が恐れていました。
中でも、大山の一の瀬や岡屋のわたり瀬を越す旅人は、ここを非常に恐れ、無事に渡った時は、かならず国許へその事を知らす程でした。
「この川にはきっと主神が住んでいるにちがいない。」
と思った氷上郡のある商人が、なんとかこの難を救おうと大願を起こし、生駒山の歓喜天を信仰して一心においのりをしていましたら、ちょうど、十年目のある夜、夢に一匹の大蛇が現れて言いました。
「わしは、篠山川に棲んでいる主神である。お前の信心の功徳によって心を改め、今から天上して自天竜となろう。わかれにのぞんで、身の上を話そう――。わしは、はじめ畑の三岳に棲んでいたが、そこに役の行者がまつられたので、のがれて藤岡の東窟寺の岩屋へ移ったところが、またもや、十一面観世音がまつられたので、仕方なく次は八幡淵に下って水中に棲み、東古佐の戎が淵、川北の孫兵衛が淵から、上は野間の弁天が淵まで五箇所をすみ家と定め、悪神となって、毎年洪水には大きななまずや鯉やうなぎとなり、あるいは杉の丸太となって、多くの人身御供を取ってきたが、今からは瀬織津比眼売となり、水難者は一人もないようにするし雨ごいの願いもきこう。これから十年間に、五箇所の淵は埋没するであろう。」
といって姿を消しました。
すると、ふしぎにも、それから五年目に一番深かった八幡淵が河原となり、その他の淵もおいおい埋没していきました。
また、それから、水死者は一人もでなくなったし、かんばつ続きでたいへんみんなが困った年などは、雨乞いの祈祷をしたら、たちまち雷鳴がとどろき、大雨が降ったといいます。
今も、一の瀬やわたり瀬には「川越安全」としるした石碑が残っていますし、京都の伏見東谷壺の滝には、「自天竜大神」をまつったお堂があるという話です。