「今田(こんだ)」

更新日:2020年10月15日

「今田(こんだ)」は、篠山市の南西部に位置しており、「今田」という地名よりも「立杭(たちくい)」や「丹波」の焼き物の名称で、全国にその名が知られています。
今田の土地は古く、平安時代の天喜3年(1055)の東大寺文書に、「多紀郡西県守住吉御領小野原御荘」と、小野原の名が見られます。小野原荘の荘域は、現在の今田町全域ですが、小野原、立杭、市原、木津(こつ)、黒石の各集落には、村々の産土神として、住吉神社が祭られています。
小野原荘の総社とされている住吉神社は、摂津の住吉大社の、造宮料所の杣山(材木を切り出す山)として勧請されたと伝えられている古い神社です。この住吉神社で、毎年行われる田楽は、通称「蛙踊り」といわれ、篠山市内の三大奇祭の一つで、中世から伝えられた貴重な郷土の伝統芸能です。
また、今田の中世は、「小野原庄」となり、江戸時代には、庄名を「今田組」と改称しました。現在の「今田新田」は、寛永3年(1626)波多野氏が開拓。「芦原新田」は、文政8年(1825)市原村より分村、後に古市村の小林氏が開拓。「佐曽良新田」は、天保年間(1830~43) 小枕の団野氏によって開発。「休場(やすんば)」は、安政年間(1854~59)下小野原より分村した村です。そして、明治22年町村制施行で「今田村」となり、昭和35年から「今田町」となりました。

(参照図書) 角川日本地名大辞典、丹波の荘園
丹波史懇話会会長 中野 卓郎