「木津(こつ)」

更新日:2020年06月25日

木津の農村風景

篠山市の南端、東条川の流域に「木津(こつ)」地区があります。「津」とは、水のうるおす所、船着き場などの意味をもっています。こんな山の中に…?と不思議な気がします。
昔、川をせき止めて、木材を川の流れの勢いを利用して下流へ運んだことにちなむといわれてきました。「木津」という地名が文書に出てくるのは、鎌倉時代の元徳3年(1331)、沢間禅尼霊台寺領寄進状に「丹波国清水寺東院及大講堂御領事、在 同国小野原庄市原木津村内…」と見え、沢間禅尼霊台(さわまぜんに れいだい)という人が木津村内の椙原(すぎはら)の田1町3反・荒野3町を清水寺東院・大講堂領地として寄進しています。木津村は昔から清水寺と深いかかわりがあったことがうかがえます。
江戸時代には、篠山藩領となりました。天明の大飢饉が始まった天明3年(1783)の高附帳によると、家数59、村人371名でした。嘉永3年(1850)では家数85、村人388名、牛27匹と、村が発展していった様子がわかります。
木津地区にある住吉神社には、正月2日にシキミの枝で互いにたたきあって五穀豊饒を祈る「ハナフリ」という神事が伝わっています。古い時代には、シシ板とシカ板を弓で射たのを奪い合ったと言い伝えられているそうです。

(参照図書) 角川日本地名大辞典
兵庫県文化財保護指導委員 大路 靖