「古市(ふるいち)」

更新日:2020年06月25日

古市の風景写真

現在の「古市」は、狭い坂道に家が軒を連ねている。むかしむかし、このあたりは油井村の新田であったそうな。元々こんな坂道に家などなかったところである。
ところが、あちらこちらに市場ができて、物々交換が始まりだした。そうなると、この坂道は、播磨や摂津から丹波や但馬に通じたり、日本海から瀬戸内海へ物資が流れる要の坂道となった。市場ができるのには最適の場所であった。「市」が立つとなると、勢い、家も建つ。おいおい繁華になってくる。そうなると、市場の神様である戎神社を祭るようになった。現在では「蛭子神社」と書いて「えびす神社」といっている。延宝元年(1673)の記録によると、六斎市(ろくさいいち)が立っていたという。六斎市とは、1と6のつく日とか、2と7のつく日に市場が開かれるということで、月に6回市が立つことになる。
この「えべっさん」には、おもしろい話がある。戎神の形をした天然石が後ろの谷から出てきたそうな。みんな大喜びでお祭りしたのはいうまでもない。ところが、どんな拍子かこの戎神が、大和国の丹波市(たんばいち)へ転居したという。一度は取り返したが、また向こうへ行ってしまった。向こうでは、丹波の戎神が来られたので、その名も「丹波市」と改めたという。そこは、現在の天理市なんじゃ。
さて、坂道に連なる家並みは、すべてが「古市」ではない。南矢代の方から旧街道に入ると「波賀野新田」があり、その次に「古市」の家並みが続く。1690年ごろの元禄郷帳によると、「波賀野ノ内古市村」となっている。元禄といえば赤穂浪士、不破数右衛門正種のゆかりの記念碑が至心山宗玄寺にある。
ぜひお参りしたいものである。

(参照図書) 角川日本地名大辞典、多紀郷土史考
兵庫県文化財保護指導委員 大路 靖