教290 次代に受け継げ黒豆栽培 農業遺産推進協議会(教育長ブログ R4.9.6)

更新日:2022年09月07日

令和3年2月に「丹波篠山の黒大豆栽培~ムラが支える優良種子と家族農業~」が農林水産省から日本農業遺産として認定された。認定されたのは、これまで先祖がこの地域で連綿と受け継いできた黒豆栽培の歴史があったから。保全計画をもとに、さらに改善を進め、地域の誇る特産品の黒豆栽培を次の世代に受け継がれていくようにしなければならないじょう。

 

一度日本農業遺産に認定されたからと言っていつまでも認められるわけではない。5年ごとに現地調査などが行われ、保全計画の進捗状況がチェックされる。先日市長を会長として、JA組合長や農業委員会会長、県丹波農林振興事務所長、県農林水産技術総合センター所長、市観光協会、市内で黒豆を扱う商店や担い手農家などの代表が集まり、本年度の丹波篠山市農業遺産推進協議会が開かれた。

 

教育長も委員の一人として、その会議に出席して、委員の皆さんの「丹波黒大豆」に寄せる情熱の熱さを感じ、子ども達の教育をつかさどる教育委員会としては、子ども達に丹波篠山黒大豆栽培の素晴らしさをしっかりと受け継がせていかなければならないと感じた。

 

興味深かったのは、丹波篠山で黒大豆栽培が始まったのは、用水不足から「犠牲田」(水を入れず稲作を止めた田)を設けざるをえず、そこを掘って高畦の畑にし、そこで栽培したのが黒大豆だったということ。

 

江戸時代から丹波篠山の黒豆は有名で(享保15年1730の料理本に「黒豆 丹州篠山よし」の記述あり)、さらに今回黒枝豆(「黒ノ枝豆」の記述あり)に関する史料(1636年)を発見したということ。

 

ここからは教育長の私見だが、正月のおせちなどに使われていた黒豆が枝豆として全国的に普及し始めたのは、本市や三田市で実施された都市博ホロンピア88(1988年)頃からで、江戸時代には社会情勢(国民の経済的な豊かさや情報網の発達など)が未成熟であったため、黒枝豆の魅力も限定的だったが、それが整えば全国的に発展したということ。

黒枝豆の全国(いや全世界)的な広がりのように、社会の機が熟せば爆発的な進化発展を遂げることがあるということ。

たとえば現在は、新型コロナウイルスの感染防止で密をさけるということやインターネットやテレワークの普及で田舎暮らしが増えているが、この流れは機が熟さない頃はそれほどでもなかった。

これからの施策で大事なのは、社会情勢を把握する力(機が熟したかどうかを見極める力)だということ。


 

☆令和4年度丹波篠山市農業遺産推進協議会総会に出席して、議事以外にも勝手な思い(上記のような)を夢想する教育長でした。

会議1
会議2
会議3
会議4